昭和の女流洋画家、三岸節子(みぎし せつこ)。
彼女は94歳までの長い人生を送りましたが、それは画家としても女性としても激動の生涯でした。
その波乱万丈な生き様の変化は、三岸節子が多く描かれた「花」をモチーフにした作品に表れています。
洋画家、三岸節子の経歴や作品、家族、夫、子供、恋人と共に、彼女の燃えるような情熱を追ってみましょう。
三岸節子 プロフィール、経歴・学歴・賞歴
氏名;三岸節子 (みぎし せつこ)
生年:1905年1月3日
没年:1999年4月18日 享年94歳
出身地:愛知県一宮市
学歴:女子美術学校
三岸節子は、父親が尾張物工場を営む裕福な家庭に生まれましたが、第一次大戦後の不況の煽りを受けて実家が破産してしまいます。この時から興味のあった絵画で名誉の挽回を図りたいと強い意志を持ちます。
16歳で上京し、洋画家の岡田三郎助に師事し、女子美術学校に編入し、首席で卒業。19歳で洋画家の三岸好太郎と結婚し同年出産。春陽会に初出品し画壇のデビューも果たしました。
- 自画像 1925年 春陽会第3回展出品
1925年に「婦人洋画会」を結成し、画壇での女性の向上に努めていましたが、夫 好太郎が1934年に死去。夫の死後も画家として生きる道を選び、1946年、現在も活動している「女流画家協会」を創立し、1954年、49歳の時、息子と共にフランスへ渡り、ヨーロッパ中を巡って風景画の傑作を作りました。
1989年、84歳で帰国し、神奈川県大磯に自宅とアトリエを構え、体の衰えと戦いながら制作し続けました。
1990年、朝日賞受賞。1994年、女流画家として初めての文化功労者となります。1998年、生家跡地に尾西市三岸節子記念美術館が開館。
1999年、94歳、急性循環不全のため死亡。
三岸節子の夫
三岸好太郎
三岸節子が19歳の時、夭折の画家の三岸好太郎(1903−1934)と結婚します。
二人の作品は洋画界には知られていましたが、買い手がそれほどいるわけでもなく経済的には苦しい状態で、節子氏の兄の援助で自宅兼アトリエを建てました。
三人の子供と好太郎の母親と病気の妹とも同居していて、節子氏が子供の面倒、家事をしなければならなかったので、自分の制作は夜間行うしかありませんでした。
夫の好太郎は自由奔放な性格で、家を空けることも多く、あまり家庭を省みない男性でしたが、節子は画家として切磋琢磨する相手でありましたから、それだけに一緒に生活するのに、かなり苦しんで自殺まで考えたそうです。
好太郎は胃潰瘍のため31歳の若さでこの世を去った時、節子はまだ29歳で、結婚生活はたったの10年でした。
菅野圭介
節子が43歳の時に、フランスから帰国したばかりの洋画家 菅野圭介(1909−1963)と別居婚と称し、事実上の夫婦となりました。
この頃になると節子は画家として注目を集めるようになって、女流画家協会の設立などで忙しい毎日を送っていました。
菅野圭介は、節子に家庭に入ってもらいたかったのですが、節子は画家として生きることを選び、48歳で圭介と別れ、フランスへ旅立ちます。
圭介は節子と別れた翌年、須藤美玲子と結婚しました。
三岸節子の作品
「花」
小さな町(アンダルシア)
三岸節子の展覧会・美術館
愛知県一宮市に三岸節子の記念美術館があります。
一宮市三岸節子記念美術館
<引用元:http://pineappledays.blog68.fc2.com/>
〒494-0007 愛知県一宮市小信中島字郷南3147-1
TEL:0586-63-2892 FAX:0586-63-2893
常設展では期間によって違う作品とそれに関係する芸術家の作品の展示、講演会があります。
また別作家の特別展なども開催されています。
三岸節子の情熱の赤に見る女性の先駆者的生き方
三岸氏の使う「赤」に象徴されるように、その生き方は実に情熱的でした。
実家が破産しても自分の好きな絵画の道を選んだこと。
夫を愛し支え、子供ももうけ、生活苦にも負けず自分の芸術を追求したこと。
夫の早逝にも耐え絵画を諦めなかったこと。
内縁の夫とは同居せず、新しいスタイルのパートナーシップをとっていたこと。
自ら海外移住を決意し、孤独の中で生活したこと。
そして、94歳という長い人生を生き抜いたこと。
どれをとっても、現代女性の求める女性像の憧れや、指針となる生き方と言っていいでしょう。
しかし、この三岸氏の波乱万丈の生き方は、彼女の時代にとっては、社会的に否定される事が多かったでしょうから、かなり生きにくかったのではないかと思われます。生まれたのが早すぎたとも感じられます。
けれど、存命中に芸術性を認められたということは、美術界では彼女を必要としていたわけでもあります。
そうなると、やはり、結婚、子供、仕事、社会地位、恋愛、長寿、自由と、全てを結果的には自分の願うように得ることができた、ほとばしる情熱に尊敬せずにはいられません。
三岸氏の平面的な絵画の奥にある超人的な情熱を感じ、深く引き込まれていく中で、自分自身の人生も考えさせられるのではないでしょうか。