時代を超えて名曲を歌い上げるシンガーソングライターの巨匠、井上陽水氏。
音楽活動50年の間、衰えることのない人気を保っているのは、彼の音楽性はもちろんのこと、プライベートでも家族の支えは欠かせないものではないでしょうか?
本記事では、井上陽水の家族構成を調べてみました。
元妻、現在の妻、3人の子供たち、孫、両親や兄弟姉妹とどんなエピソードがあるのでしょうか?
井上陽水の現在の妻 石川セリ
1978年8月30日、井上陽水氏が30歳の誕生日に、歌手の石川セリさんと結婚しています。
今回で、最終回
石川セリのサリュー!サリュー!一年という短い時間でしたが
ありがとうございました💐💐今日のスタジオの花は
ホワイトレースフラワー✨毎回、お花の話で始まっていたので
最後もお花の話で終わります✨セリさんとまた
ラジオで再会出来る日を願って🌹#KBCラジオ #石川セリ pic.twitter.com/WfYbqSYILv— 石川セリのサリュー!サリュー! (@kbc_salut) 2019年3月25日
本名:井上 セイディ
生年月日:1952年12月27日 2019年現在 66歳
出身地;神奈川相模原市
父親がアメリカ人で母親が日本人のハーフです。若い頃と変わらぬ美貌でファンの人達を驚かせています。
1974年に出会い、陽水氏のほうがセリさんの熱愛だったようで、気を引くために「ダンスはうまく踊れない」を30分で作曲して眼の前で披露したそうです。
石川セリさんの代表曲ですが、陽水氏もこの曲を濃く歌っていていて、多くのミュージシャンもカバーしている時代を超えた名曲です。
井上陽水氏は結婚後も恋浮名を流して、別居や離婚の噂が何度も立っていますが、実際は結婚生活が40年以上ということで驚いています。
2011年に陽水氏と芸人オセロ中島の不倫報道が出た時、女性雑誌でセリさんの母親が「陽水は『人を好きになった』とかいうタイプの男じゃないです。人間味というか、人間としての余裕がないほうですからね」と暴露したとかしなかったとか、、、。
真実はどうであるかはわかりませんが、こうして結婚生活が長く続いているという事実は、やはり夫婦としての絆があるのではないかと思われます。
井上陽水の元妻
井上陽水氏は石川セリさんと結婚する前に、1974年1月に熊本県出身の女性と結婚しています。
この頃は「夢の中へ」のシングルが初ヒットして、アルバム「氷の世界」が日本初のミリオンセラーアルバムとなった知名度が非常に上がった年ですね。
お嬢さん風の外見だったと言われていますが、2年後に離婚しています。
長男 准介
1978年12月に長男が生まれています。
結婚も同年8月ですから、できちゃった婚だったんですね。
お名前は准介(じゅんすけ)さん。陽水氏の音楽活動をサポートしている仕事についているそうです。
長女 依布サラサ
1983年12月22日に、長女ニサさんが生まれています。
歌手で作詞家の依布サラサさんです。
ヘアカラーまた変えました🙆♀️
ずっと明るい色だったけど、
気分変えてトーンダウンしたら少しうずうずしてまして。ずっとお世話になってる仲良し@kaco369 さんと相談して、内側ブリーチで大満足😊❣️
下ろしてても、アップにしても好きです😊🙏
このあとは
KBCテレビ「サワダデース」 pic.twitter.com/EA3BaA0XoK— 依布サラサ (@nisarasa_wonka) 2019年4月9日
出身地: 東京都、現在は福岡県在住
学歴:青山学院女子短期大学 卒
作詞は学生時代からしており、陽水氏と作詞に関して深く語り合ったことで、2006年からプロとして活動。
デビューは陽水氏との共同作詞「長い猫」。
猫が大好きで自宅でも3匹飼っていて、猫専用共生マンション「If CAT(イフ キャット)」をプロデュースしてます。
一度目の結婚で長女ゆゆさんを19歳で産み(現在16歳)と二度目の結婚で4歳の娘がいます。夫は一般の男性のようです。
次女 アンナ
次女のアンナさんは、陽水氏のコーラスなどにも参加したことはあるそうですが、現在は主だった活動はしていないようです。
2015年に九州朝日放送のアナウンサー、三澤澄也さんと結婚。スポーツマンらしく、ひきしまった筋肉をしています。
2016年に男子を出産。母として主婦としての仕事が忙しいようです。
次男 TAKITA
オスカープロモーションに所属している俳優だそうです。
語学が堪能で、英語、韓国語、スペイン語、フィンランド語を流暢に使いこなし、ジャズピアノの腕前もなかなかだそうです。
身長180cmもイケメンで、井上陽水の息子として売るのが嫌で、独自で事務所を探して俳優になったそうですが、現在どのような活動をしているかは不明です。
井上陽水の父親、母親
父親は井上若水(わかみ)さん。
軍医でソウルで歯科医をしていたとき、衛生兵として出征しています。歯科の学校にはいかず独学と修行で歯科医の資格を取ったそうです。福岡に戻ったとも歯科医として開業していました。
母親 フジさんとソウルで知り合い、結婚しました。
祖父が明治のジャーナリスト幸徳秋水と遠縁関係であり、尊敬をしていたので、息子に秋水と読みが同じのアキミ(陽水の本名)をつけたとも言われています。
もともと井上家は佐賀県で旅館を営んでいたのですが、祖父の代で経営不振となり福岡に移り住んだのです。それで、父、若水さんは1972年に故郷で花を咲かせたいために佐賀に戻り、歯科医院の開業準備をしている最中に突然、亡くなりました(享年65歳)。
この年の3月に「人生が二度あれば」という曲をリリースしており、歌詞の中に
「父は今年二月で六十五
顔のシワは増えてゆくばかり」
とあります。
父親はその後の6月に亡くなっていますので、陽水氏は父の無念さを汲み取り、思いはさぞかし辛いものだったでしょう。今でも、度々お墓参りには行ってますし、ノーギャラコンサートを開いたこともあります。
井上陽水の兄弟姉妹
陽水氏には姉一人、妹一人がいます。
姉は8歳上で京子さん。
陽水氏は、もともと歌がうまく、音楽の嗜好は、姉の影響でプラターズやエルヴィス・プレスリーなど洋楽を聴くようになったそうです。
妹は1歳年下の章子さん。
陽水氏は、親の意思を継いで歯科医になるべく受験しますが、3回受けて、3度とも失敗。それで「予備校で勉強するために」という名目で東京に出てきますが、もうその頃は音楽にしか興味がなくなって、生活は苦しかったけど、人生が一番バラ色に輝いていた、と回想しています。
その変化に気がついていたのは妹さんで、「お兄ちゃんが変わったのは、予備校に行きだしてからだ」と後に語っていたそうです。
井上陽水の家族のまとめ
- 現在の妻は結婚生活40年以上続いている、歌手の石川セリ。
- 元妻とは、たった2年で離婚していた。
- 子供は娘2人、息子2人で4人いる。
- 孫は女の子2人、男の子1人。
- 父親は歯科医だった。母親とはソウルで結婚していた。
- 兄弟姉妹は、姉が1人と妹が1人いて、3人兄弟である。
井上陽水氏自身は波乱万丈な人生を送られていますが、ご家族もいろいろな経験をして生きてこられたのですね。
こうした家族を含む人生のドラマの重さや素晴らしさが、陽水氏の曲を一層深いものにし、私達の心に染み込み、輝かせているのだと感じました。