「美術界のインディ・ジョーンズ」と呼ばれる美術品専門の捜査で活躍するアーサー・ブラント氏。
数々の消息の不明になった美術品を緻密な調査によって、経緯や場所を割り出していき、最近では、盗難にあっで20年間行方不明になっていたピカソの「ドラ・マールの肖像」を探しだし、回収しました。
アーサー・ブラント氏が手がけた盗難、略奪、偽造、密売のよる美術品の問題解決は、200以上にも上ります。
本記事では、アーサー・ブラント氏の代表的な業績、実績を見ていきましょう。
アーサー・ブラントのプロフィール
アーサー・ブラント(Arthur Brand)はオランダのデーヴェンダーで生まれました。
幼い頃から歴史と美術に興味を持ち、特に祖父の友人が、ナチスのゲーリングに、ファン・メーヘレンの絵を、フェルメールだと信じさせ売ってしまったという話が好きでした。
高校卒業後、スペイン南部の違法宝探しに参加したり、アルゼンチンに滞在したりして、美術品、骨董品の取引を始めます。
ビザンチンのモザイク画
1970年代にキプロスから盗み出されて、行方不明になっていたビザンツ時代のモザイク画を発見。
6世紀の聖マルコのモザイク画で、トルコ軍による1974年のキプロス侵攻後、北キプロスのリトランコミにあるパナギア・カナカリア聖堂の壁から、ほかのモザイク画や宗教遺物とともに切り取られ、行方が分からなくなっていました。
ブランド氏は、キプロス正教会の協力を得ながらヨーロッパ中を2年間捜索し回収しました。
このモザイク画の購入者のイギリス人は、父親が盗品だと知らずに購入して40年以上も家族が所有していました。このモザイク画が略奪品で、価値が約12億円だと知ってたいへん驚いていたそうです。
スペインの1000年前の石碑
2004年にスペイン北部にある教会から対になっているビザンチン初期の非常に貴重な1000年前の石碑が略奪され、長い期間行方不明でした。
価値のある石碑だとは知らずに購入したイギリス人貴族の庭園で、装飾品として飾られていたのをブランド氏が発見しました。
石碑はスペインの窃盗犯人から、フランスのディーラーに渡り、盗品とは知らずイギリスのディーラーに移ったようです。購入したイギリスの貴族も盗品とは知りませんでしたから、約730万円で購入しました。石碑は、英ロンドンのスペイン大使館に返還されました。
ダリとレンピッカ
a picture of the recovered #Dali pic.twitter.com/n2lQaaYyoO
— Arthur Brand (@brand_arthur) 2016年7月27日
2009年5月1日、オランダのスパンブルックにあるシェリンガ美術館から、サルバドール・ダリとタマラ・ド・レンピッカの絵が盗まれました。AFPの報道によると、武装した覆面の男たちがスタッフと訪問者を銃で脅し、絵を奪ったた後、車に乗って逃走。
7年間かけて、ブランド氏はこのイギリスの窃盗犯人とコンタクトに成功し、仲介人を通して、絵画の破損や転売をしないことを条件に、犯人グループを匿名とし、絵を返却させました。
ナチスの青銅の馬
ヒトラーが第三帝国の権力の中心としてベルリンに建設した大聖堂の中には、かつて階段の両側に馬が立っていました。この彫刻は、ドイツのヨーゼフ・トーラクが制作したものですが、連合軍の爆撃と侵入してきたロシア軍の砲弾によって破壊されたと言われてきました。
しかし実は闇のディーラーに寄って倉庫に保管されていて、ナチスコレクション愛好家に約8億円で売却されそうになっていました。
ブランド氏はその情報を入手すると、ドイツの警察と協力しドイツの南西部の倉庫に搬入される場を取り押さえました。
容疑者は8人で、ロシア軍から正式に買い取ったと主張していましたが、詐欺と盗品取扱の罪に罰せられています。
アーサー・ブラントへの依頼料は?
2019年3月に回収されたピカソの盗難された「ドラ・マールの肖像」。
1999年の所有者だったサウジアラビアの大富豪は、約4500万円でブランド氏に調査、回収を依頼したと聞きます。
個人所有の美術品が盗難にあった場合の調査は、その調査内容と期間によって費用がかなり違ってくるそうで、依頼人から提示する金額によって、捜査の度合いも変わってくるようです。
盗難、密売、偽造品は闇ブローカーの情報が大量に必要になってくるので、各国の警察もブラント氏に依頼するケースがよくあります。
しかし、ブラント氏は犯罪の発覚や容疑者たちがどんな罪に問われるかは、あまり問題にしていず、美術品が無傷であるべき場所の戻ることだけにファーカスして、捜査していると語っていました。