徳川家康の命を受け、1615年に建てられた名古屋城本丸御殿は、1930年に天守閣とともに国宝に指定されました。
しかし、1945年5月空襲により本丸御殿は天守閣と共に焼失。
名古屋市は、2009年から本丸御殿の復元工事に着手、9年余りをかけた工事が去年6月に完成、一般公開されています。
障壁画の復元模写は日本画家の加藤純子氏の指導の下で、できあがりました。
本記事では復元模写の日本画家、加藤純子のwikiプロフィール、経歴と彼女が手がけた名古屋城本丸御殿や加藤氏が手がけた作品を紹介します。
日本画家 加藤純子のプロフィール
氏名:加藤純子 (かとう じゅんこ)
生年月日:1948年11月23日
出身地:愛知県名古屋市
居住地:愛知県
職業:古典模写制作
学歴:東京藝術大学日本画科 卒
加藤氏は16歳の名古屋市立工芸高等学校の時代に日本画家の小寺礼三に出会い、古典模写に興味を持ちます。
芸大在学中に、吉田善彦に師事し、「国宝・一遍聖絵」、「重要文化財・雪見御幸絵巻」模写し、本格的に古典模写制作を始めます。
卒業後はフリーで活動しています。
古典模写は、原本資料の保存に一役を担っているだけでなく、日本古来より伝わる失われた技法を取り戻し、継承する行為としての意味もあるのです。
原本の制作過程を体現しながら行う模写は、彩色方法だけでなく、彩色材料を探ることも必要な工程の一つです。
すでに焼失されたものの再現となると、模写の技法を知ることや、日本の伝統的な絵画の彩色材料を理解し、考察しなければならず、多くの時間と労力が必要となってきます。
加藤純子の経歴
- 1978年「国宝 源頼朝像」模写
- 1985年〜1998年 重要文化財・松島瑞巌寺障壁画」復元模写
- 1986年(財)美術院制作「国宝・阿修羅像」復元彫刻の復元彩色
- 1987年「国宝・伝真言院曼荼羅」復元模写
- 1989年(財)美術院制作「国宝・聖徳太子像」復元彫刻に復元彩色
- 1992年~2018年「重要文化財・名古屋城本丸御殿障壁画 竹林豹虎図」復元模写
- 1993年「国宝・扇面法華経」模写平成11年「国宝・紫式部日記絵巻」模写
- 1999年~2003年「国宝・小島曼荼羅」復元模写
- 2003年~2007年「国宝・源氏物語絵巻」復元模写
- 2004年(財)美術院制作 復元模刻「国宝・伎楽面酔胡王」復元彩色
- 2004年~2006年「国宝・一遍聖絵」模写
- 2005年(財)美術院制作 復元模刻「国宝・伎楽面酔胡王」復元彩色
- 2015年「国宝・紫式部日記絵巻」復元及び古色模写制作中。
多くの国宝古典絵画の模写制作を手がけています。
2015年、くちなし賞を受賞。
加藤純子が手がけた古典復元模写
加藤氏の手がけた数多くの複写の一部を紹介します。
重要文化財・松島瑞巌寺障壁画
国宝・伝真言院曼荼羅
重要文化財・名古屋城本丸御殿障壁画 竹林豹虎図
本丸御殿にある一番大きな絵は床の間にあります。実に豪華ですね。
国宝・源氏物語絵巻
国宝・一遍聖絵
最後に
加藤氏は古典模写についてこう語っています。
昔の絵師というのは小さなころから筆を持ち、制作の現場を見ているわけですから、筆で表現できることが染み付いていますよね。自分の持って いる才能や持ち味の発揮の仕方をよく知っています。
また、現代の私たちのように、さまざまなジャンルやスタイルを勉強しているわけではなく、ある時代の様式を学び、極め、深く高くを追求していますから、本当に素晴らしいものばかりです。そういったとても水準の高い方々の作品を模写するというのは恐れ多いことだと思いますが、後世に残しても恥ずかしくない作品を…と 全身全霊を注ぎ込んで頑張っているつもりですが、それでも1年後に見ると「もっと こうすれば良かった」と思いますから、本当に終わりのない仕事ですね。出典:ジャパンワールド
加藤氏は、作品と対話をし、その作品から教わりながら作品を作っていけることを、人生において模写を選んで幸運だったと感じて、制作しているそううです。