フランスの現代美術の代表的な芸術家 イヴ・クライン。
34歳という若さで亡くなる短い人生の中で、彼がアート界に与えた影響は大きく、パフォーマンスアートの先駆者です。私たちがよく知っているのは「インターナショナル・クライン・ブルー」を使用した作品でしょう。
また、日本にも長期滞在して、当時では欧米人としては柔道の最高位を取得するなど、武道にも優れた才能を発揮していました。
イヴ・クライン 概要
引用元:ウキペディア
生い立ち
イヴ・クラインは1928年4月28日、フランスのニースで芸術家の家庭に生まれました。母親はアンフォルメル(抽象表現主義)の第一人者 マリー・レイモンドであり、父親のフレッド・クラインはポスト印象派で、特徴的な人物や風景を描いていました。クラインは創造的な家庭で育ちましたが、正式な芸術的訓練を受けていませんでした。一家は、夏の間は南フランスで芸術家の友人たちと過ごし、クラインは叔母のローズ・レイモンドと暮らしました。彼女は、両親の自由奔放な生き方とは対照的な、安定と実用的な人生計画を実践していました。こういった異なる人生視点は、両親の異なる芸術的葛藤と相まって、クラインは彼の初期の作品で線を拒否し、色を厳しく制限したとも言われています。
青年期
1942年から1946年の間、クラインはエコール・ナショナル・ド・ラ・マリン・マルシャンとエコール・ナショナル・デ・ラングで芸術を学びました。このとき、彼はクロード・パスカルという詩人と、アルマン・フェルナンデスという彫刻家と知り合います。
アルマン・フェルナンド 1929-2005
ヌーボー・レアリスム(ニューリアリズム)運動に最も関連した芸術家。アルマンの代表的作品は、大量生産を批判する「蓄積」の巨大な彫刻です。近代化と大量消費の文化に対する強力で冷静な拒絶を表現しています。
彼らは柔道(現代武道)、ジャズ音楽、文学、そして東洋宗教について議論を交わしていました。
クラインの芸術が劇的に変化するのは、1947年にパスカルとアルマンと一緒にビーチに横たわって論議していたときに起こりました。アルマンは地球の物質を、パスカルは言語を、クラインは「空」を所有したいとなったのです。この「空」は惑星を含む宇宙のことです。彼は空に向かって自分のサインをし、宇宙の深みに自分の名前が刻まれたと主張しました。これがクラインが無限と定義したものに取り組み始める引火点でした。
学生時代から続けている柔道は講師としてスペインなどの外国に招かれるほどの腕前になっており、1953年に日本に滞在します。25歳で柔道の達人となり、講道館から当時の欧米人としては最高位の四段を授与されます。翌年帰国しますが、ヨーロッパ柔道連盟がこの四段を認めず、武道家としての道は諦めます。
成熟期
クラインは「色の計り知れない存在に没頭する可能性として、自由への開かれた窓」であるとモノクロ宣言をしました。単色は絵画を物質性から解放するとし、線、レンダリングされたオブジェクト、抽象化されたシンボルから、独立した感情や感覚を呼び起こす表現をしています。
1956年、化学技術者の助けを借りて、彼のお気に入りの群青色を抽出させることに成功し、「インターナショナルクラインブルー(IKB)」と名付けました。これはクラインの青の時代の始まりです。クラインは、IKBが霊的な力と非物質的なものに対する彼の信念を表現するのに最適な道具であると信じていました。また群青はキリスト教の聖霊の伝統的な象徴的な色であり、無限の空の広がりと海の深さを呼び起こします。
1957年、ミラノのギャラリーで11点のIKBの絵画を展示しました。それらの絵画は大きさと構造は同じですが、それぞれ異なる価格がついていました。
1958年、ギャラリーになにも置かない「空虚」展を開催。
1960年、クラインはIKBをペイントローラーと女性モデルで「人体測定」を発表。このパフォーマンス作品で、クラインは自然の要素にますます魅了され、火、水、海のスポンジ、砂利をキャンバスや彫刻に取り入れました。その結果、一連の火の絵、単色のレリーフ画、無限の空間の宇宙論的アイデアを表現したIKB彫刻が生まれました。
1962年、クラインはビジュアル・アーティストのロトラウト・ウエッカーと結婚しましたが、数か月後、心臓発作で亡くなっています。
イヴ・クラインの作品
クラインの初期から成熟期までのハイライト作品が、よくわかりますね。日本で柔道をしていたシーンも貴重なものです。
1949年の彼の個展では、モノトーンの戯曲を紹介しています。この展覧会は「モノトーン・サイレンス交響曲」と呼ばれ、20分間の音楽和音を演奏し、その後20分間の沈黙を奏でた。
オーケストラの音楽と共に、インターナショナル・クライン・ブルーをまとった女性たちの幻想的なボディペインティング。暴力的な雰囲気が少しも感じられないところは、フランス芸術の伝統を匂わせていますね。
インターナショナル・クライン・ブルー
インターナショナル・クライン・ブルー(IKB)は、クラインによって「創造」され、彼の芸術に使用された深い青色の色です。1960年5月、クラインは国際クラインブルー(IKB)という名前でインダストリエル国立プロプリエテ研究所(INPI)に塗料配合を登録しましたが、IKBの特許を取得することはできませんでした。
彼の短い人生の中で、IKBを使った単色作品は約200点あり、作成時にはタイトルを付けないものも多々ありました。彼の死後、妻のトラウトが“IKB 1 ”から連番で“IKB 194 ”までタイトルをつけています。
クラインの青色に魅かれたのは、イタリアに旅行からも生まれました。聖フランシスコ大聖堂の壁にフレスコ画で展示されている豊かなブルーを体感しました。この色は、聖母マリアのローブを描くために使用されていて、宗教的意義も見出しました。
そして、青は空間の否定できない広大さを描き、「青には次元がない。それは次元を超えているが、他の色はそうではない」クラインをのめり込ませました。
イヴ・クライン 展覧会
特別展「時を超えるイヴ・クラインの想像力」
2022年10月1日(土) -2023年3月5日(日)
金沢21世紀美術館
所在地:〒920-8509石川県金沢市広坂1-2-1
Tel:076-220-2800 (代表)
本展は、1950年代から60年代に活躍したフランスのアーティスト、イヴ・クラインを中心に、イタリアの空間主義運動や日本の具体などの同時代の作家、さらに現代の作家を加えて、彼らの芸術に共通する「非物質性」というテーマを浮かび上がらせます。荒廃した戦後の「タブラ・ラサ(空虚)」ともいえる状況から、イヴ・クラインは新しい人間性を探求する作家として、彗星のごとく登場しました。彼は、作品の素材や支持体のみに依存しない、芸術の「脱物質化」を徹底的に推し進め、同時代のアーティストのみならず後世の作家たちにも多大な影響を与えています。
引用元 金沢21世紀美術館