明治・大正・昭和の版画、洋画家 吉田博(よしだ ひろし)。
新版画創作版画の最も有名な芸術家の一人で、風景画の第一人者で有名です。吉田はいくだびとなく国内外を旅行し、タージ・マハル、スイスアルプス、グランドキャニオンなどを、日本の伝統的な木版画のスタイルで制作して、海外でも人気の高い版画家です。
ここでは吉田博の作品、経歴、展覧会を見ていきます。繊細で写実的な彼の作品には、誰もが見とれてしまうほどの美しさです。
吉田博のプロフィール 受賞歴
生年:1876年(明治9年)9月19日
没年:1950年(昭和25年)4月5日 享年74歳
出身地:福岡県久留米市
学歴:福岡県立修猷館(しゅうゆうかん)、田村宗立に師事
主な受賞歴
- 1900年 パリ万博 日本現代画家作品展示『高山流水』が褒状
- 1904年 セントルイス万博 銅賞碑を受賞
- 1907年 東京勧業博覧会で『紐育ブルックリンの夕景』が2等賞を受賞、第1回文部省美術展覧会(文展)で、『新月』などを出品が3等賞を受賞し、文部省買い上げとなる。
- 1908年 第2回文展で『雨後の夕』が2等賞(最高賞)を受賞
- 1909年 第3回文展で『千古の雪』が2等賞(最高賞)を連続受賞
吉田博の生い立ち、経歴、版画への道
吉田博は旧久留米藩士・上田束秀之の次男として、久留米市に生まれ、福岡県立修猷館に通っていたときに、美術教師に才能を見込まれ、15歳で養子となります。
20歳の頃、京都で洋画家田村宗立に師事。その後上京して小山正太郎が主催する不同舎に入門し、明治美術会の会員となります。
1899年、22歳でデトロイト美術館で最初のアメリカ展を開催しました。その後、ボストン、ワシントンDC、プロビデンス、ヨーロッパに旅行します。
吉田の発案により、満谷国四郎、石川寅治、中川八郎らと太平洋画会(現・太平洋美術会)を結成。この太平洋画会は黒田清輝らが創設した白馬会とともに、明治時代の画壇を二分する団体として発展していくことになります。
1920年、吉田は新版画運動の出版者であり提唱者である渡辺庄三郎が主催した渡辺版画展で彼の最初の木版画を発表。
ボストンを拠点に、フィラデルフィア、デトロイトなどで展覧会を開催。
1925年、欧州歴訪の後に帰国し、新宿区下落合に彫師と印刷業者を雇い、吉田版画スタジオを創設。木版画『アメリカ・シリーズ』、『ヨーロッパ・シリーズ』を自ら版元となり出版を開始しました。
彼の版画は世界中で愛され、欧米、エジプト、インドなどで写生したほか、登山が一般的でなかった大正末期に日本アルプスに登り、260点余りの版画を連作しました。70歳のときに最後の版画をデザインし、その後、亡くなるまでの4年間は油絵と水彩画を描き続けました。
吉田博の作品と価格
吉田博の版画作品はクリスティーズで約50万円からあるようです。戦前から世界で展覧会をし、人気が高い作品を創っていましたから、戦後は、吉田のアトリエは進駐軍の芸術サロンのようになっっていたそうです。ダグラス・マッカーサー夫人、ダイアナ妃、フロイトも、吉田の版画作品のファンでした。
吉田博の展覧会
没後70年 吉田博展
会期:2021年1月26日(火)~3月28日(日)
会場:東京都美術館
東京都台東区上野公園8-36
TEL : 03-3823-6921
https://www.tobikan.jp/exhibition/2020_yoshidahiroshi.html
福岡県久留米市に生まれた吉田博(1876-1950)は、若き日から洋画に取り組み、幾度もの海外体験を通じて東西の芸術に触れながら、独自の表現と技法を確立しました。画家として才能を発揮した吉田は、画業後期にはじめて木版画に挑戦し、新たな境地を切り開きます。深山幽谷に分け入り自ら体得した自然観と、欧米の専門家をも驚嘆させた高い技術をもって、水の流れや光の移ろいを繊細に描き出しました。画家の没後70年という節目に開催する本展は、初期から晩年までの木版画を一堂に集めるとともに、版木や写生帖をあわせて展示し、西洋の写実的な表現と日本の伝統的な版画技法の統合を目指した吉田博の木版画の全容を紹介します。 出典:東京都美術館