画家の梅野亮(うめの まこと)さん。
祖父が青木繁の親友であり、父親が美術コレクターだった亮さんは、幼い頃から浪漫主義に影響され、画家になりました。しかし、20代後半から30年近く画家として活動していませんでした。近年になってまた美術活動をはじめて、展覧会が開かれています。
ここでは、梅野亮さんの家族、経歴、作品や展覧会を見ていきます。彼の作品のどれを観ても、きっと心地よさに包まれるのではないでしょうか。
梅野亮の祖父 梅野満雄
祖父 梅野満雄さんは、1879年(明治12年)に福岡県久留米市の大地主の家に生まれ、同じ久留米市に生まれた3歳年下の青木繁、坂本繁二郎と中学時代から親しくなります。
青木は東京美術学校に入学し、満雄さんは早稲田大学の前身東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学。東京美術学校に通う青木の生活の面倒を見ていました。28歳で亡くなった青木の親友であり、理解者であり、パトロンでもありました。
青木の死後、満雄さんは、当時それほどの評価を得ていなかった彼の作品の収集に奔走しました。
梅野亮の父 梅野隆
梅野隆(うめの たかし)1926年、福岡県八女市に生れる。1951年長崎経済専門学校(現長崎大学経済学部)卒業。ブリヂストンタイヤ(株)に入社。1985年ブリヂストンタイヤ大阪販売(株)監査役を退任。
東京京橋に「美術研究 藝林」を開廊。1986年『美の狩人』出版。1992『美神の森にて』出版。1997年藝林閉廊。1998年からは長野県の梅野記念絵画館長を2010年まで務める。2011年7月、85歳で逝去。 出典:https://www.syukado.jp/interview/vol006/
父 梅野隆さんも祖父と同様、評価を得られずに忘れられてゆく画家の発掘をしていくました。会社勤務をしながら、東京・京橋に画廊を開き、作品の収集と研究に情熱を注ぎ、青木繁の他に菅野圭介の作品も収集。
「生きる目的は、絵を集めることで、集めた絵に独自性が必要。絵を蒐集することもまた芸術である」と隆さんはインタビューで語っていて、アート・ワールドの方向性に希望がもてそうです。
梅野亮のプロフィール 経歴・学歴
生年:1952年
出生地:福岡県八女市
学歴:パリ グラン・ショミエール
梅野亮さんは隆さんの長男として生まれ、幼少期から父が所有する青木繁の作品に接していました。青木の浪漫主義や文学性に影響を受けて絵画、詩を制作していきます。
10歳のときに油絵を始め、美大を目指していました。しかし、日本画家の中村正義から「美大へいくと才能が壊されてしまう」と助言され、進学を断念します。
20歳のときに芸術の勉強のために渡仏。2年後に帰国し、公募団体には所属せず、個展を通じて作品を発表し、美術界の注目を集めるようになりました。けれど、27歳の頃に筆を折り、美術とは全く縁のない企業に勤務。
そして、定年を間近に控えた頃芸術への情熱が再燃し、2010年より個展を開催。30年ぶりに美術界に復帰しました。
梅野亮の作品
梅野亮の展覧会
浪漫の系譜 梅野亮展
会期:2020年10月4日〜2021年1月17日
会場:梅野記念絵画館
住所:長野県東御市八重原935-1
電話番号:0268-61-616158
初期から現在までの58点の油彩や20点の水彩素描を展示。永井画廊代表・永井龍之介さんなどをゲストに迎え、梅野さんとのギャラリートークや、公開制作などのイベントも開催。作家の浪漫あふれる詩情と天性の色彩の美しさをかんじてほしいとのこと。
https://www.culture.nagano.jp/event/4206/
梅野記念絵画館
1998年に父 梅野隆さんのコレクション430点の寄贈を受けて開館。そのコレクションは、「特異な業績を上げながら忘却されたり不遇な生涯を終えた作家で、忘れ去られるには惜しい作家を顕彰する」という方針のもと収集されたものであります。
祖父 梅野満雄さんが親友の青木繁の遺作を永く守り続けたことから始まったそうです。同館の2代目 現愛の館長は梅野隆さんの娘婿の佐藤修さんで、副館長が隆さんの娘佐藤雅子さんで、梅野三代がこの美術館を支えています。
青木繁、菅野圭介、伊藤久三郎らのほか、荘司貴和子、冬青小林勇、木村辰彦、河野扶など埋没した優れた作家を企画展などで取り上げ、収蔵しています。