音楽プロデューサーでベーシストの亀田誠治(かめだ せいじ、1964年生まれ)さん。
椎名林檎、平井堅、スピッツ、GLAY、いきものがかりなど数々のアーティストをプロデュースしていますね。2007年、2015年には日本レコード大賞において編曲賞も受賞という日本の音楽界をリードするひとりです。
ここでは、亀田誠治さん家族についてエピソードを交えながら、見ていきましょう。
結婚した妻や息子、両親や兄弟姉妹はどんな人なのでしょうか?
亀田誠治の両親 父親・母親
亀田さんは、アメリカ ニューヨークで生まれました。ご両親は栃木県出身なのですが、仕事でニューヨークに駐在していました。
ご家庭は、アメリカナイズされていて、週末に友人を集めて8ミリビデオの上映パーティーを開く習慣があったとか。亀田さんが生まれたときのビデオには、白人の医師、黒人とアジア人の看護師、日本人のご両親が映っていて、実にアメリカ、ニューヨークのメルティングポットが感じられたそうです。
一年後には栃木県に戻ってきたのですが、母親は、シューベルトの子守唄をアレンジして、「誠治はよい子」という歌詞の替え歌をいつも歌ってくれていました。音楽が好きな方だったので、クラシックや、流行のビートルズなど、さまざまなジャンルの音楽が生活の中に流れていました。
その影響で亀田さんはピアノを習い、ギターを習い、小学生のときは「亀田FM」という仮想放送局をつくって遊んでいたのだとか。大学生の頃には、音楽にのめり込んで、自宅のクローゼットの扉を壊してDJスペースみたいなものをつくったとき、叱るどころか、「それ、すごいね!」と絶賛してくれたという、息子の才能を伸ばす教育をしたようです。残念ながら、亀田さんが29歳のときに、亡くなってしまいました。
父親は実は亀田さんが音楽の道に進むことは反対で、政治か経済の世界に入ってもらいたい希望があったようです。しかし、27歳のとき、中野サンプラザで、バックミュージシャンとしての演奏にご両親は来てくれました。そして、帰宅したら机に父親からの手紙が置いてありました。「今日の舞台、素晴らしかった。ところで、誠治の弾いているベースという楽器が何の役を果たしているかわからない。明日からギターに変更しなさい」って書いてあったそうです。やはり、息子への愛情をかんじますね。
今こうしてジャンルに拘らない音楽制作ができるのも、ご両親からの大きな影響と支援があったからだと、亀田さんは感謝しています。
兄弟姉妹の情報は見つからなかったので、もしかしたら一人っ子7日もしれません。
亀田誠治の結婚した妻
亀田さんは歌手の下成 佐登子(しもなり さとこ)さんと結婚しています。
原点である 戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー(1985年)の主題歌はOP、ED共に下成佐登子さんが歌唱した。TFは戦うことが使命であり争いを終わらせる事の出来ない存在である事を繊細な声で表現されている。因みにこの方のデビュー曲 秋の一日 でこちらもしんみりとした名曲。 pic.twitter.com/Rc0EuUFkG2
— highway1990S (@STkazu4100) October 22, 2017
佐登子さんは3歳年上の1961年生まれ。ポプコン出身でポップス、アニメソングを歌う歌手です。
一時期、歌手活動を休止していましたが、子育て等、家庭が一段落ついて復活し、ソングハウス活動(発声で心身を整えるメンタルケア)を中心に活躍しています。
亀田誠治の子供
亀田さん夫婦には息子さんが二人います。
1994年生まれの長男と1999年生まれの次男。
今朝、長男が誤って自分の携帯と僕の携帯の両方を持って出勤してしまい(同じiPhone Xでケースも似てる!😆)、慌てて僕が長男の会社までクルマで駆けつけて携帯をピックアップするという事件がおこりました。家族とはおもしろいもので、いつだってドタバタ泣き笑いの連続です。👫👬トホホ🔜ワハハ
— 亀田誠治 Seiji Kameda (@seiji_kameda) December 10, 2018
亀田さんが息子さんたちに厳しく伝えてきたことは、「嘘をつかない」ということだそうです。これだけはしっかり守らせたとか。子育て期間は仕事がとても忙しくで、奥さんにまかせっきりだったので、その分、最近はできるだけ家族との時間を大切にしていると語っていました。
息子さんたちが成人しても、家族の絆がしっかりつながっている家庭で素敵ですね!
