作曲家の服部隆之(はっとり たかゆき、1965年生まれ)さん。
パリ国立高等音楽院で学び、日本アカデミー賞優秀音楽賞を受賞し、テレビドラマ、舞台、映画で多くの音楽を手掛けています。
ここでは、服部隆之さんの家族を見ていきましょう。どうやら音楽一家のようですが、祖父、両親、兄弟姉妹、結婚した妻、娘や従兄弟はどんな仕事についているのでしょうか。
服部隆之の祖父 服部良一
服部隆之さんの祖父 服部良一さんは、日本のポップス界で大きな活躍をした作曲家です。
服部良一 1907−1993 引用元:https://hakameguri.exblog.jp/30457780/
良一さんは明治40年、大阪府大阪市で生まれます。高小卒業後、働きながら夜学に通い、大正12年出雲屋少年音楽隊に入隊。15年大阪中央放送局の管弦楽団員となり、同指揮者であったソ連の作曲家E.メッテルに師事、作曲理論を学ぶ一方、ジャズに対しても、バンドを作り道頓堀で人気のプレイヤーとなります。昭和8年に上京し、ダンスホール「ユニオン」のバンドにサックス・プレイヤーとして参加。11年には、コロムビア・レコード専属作曲家となり、12年最初のヒット曲「別れのブルース」を生み出す。以後「湖畔の宿」「東京ブギウギ」「青い山脈」など、戦前、戦後を通じ現在まで、多くの人の愛される音楽を作り出してきました。日本作曲家協会会長、東京音楽祭審査委員長、日本音楽著作権協会会長を兼任。53年には音楽家としては最高の勲三等を受賞。 出典:コトバンク
服部隆之の父 服部克久
父親の服部 克久(はっとり かつひさ、1936年11月1日 – 2020年6月11日 )さんも作曲家です。
引用元:https://www.musicman.co.jp/interview/19468
パリ国立高等音楽院を卒業し、様々なジャンルの音楽監督、プロデューサーとして活躍。自ら設立した東京ポップスオーケストラで定期的にコンサート活動を行いました。日本作編曲家協会会長、日本音楽著作権協会、作曲家協会の理事、審議委員なども務めました。
主な作品は、アルバム「音楽畑」シリーズ1〜17、アルバム「Tokyo Pops」1〜5、合唱組曲『ガラスの兎』『ブーケ』『ル・ローヌ』『自由の大地』『すごい男の唄』などがあります。
服部隆之の妻 服部エリ
1967年生まれで元バイオリニストです。
妻エリさんの画像は、次の娘 百音さんの動画でご覧になれます。
服部隆之の娘 服部百音
引用元:https://www.center-mie.or.jp/bunka/event/detail/26859
百音(もね)さんは1999年生まれ。5歳のころからヴァイオリンの英才教育を受けていました。
8歳でオーケストラと共演し、2009年 10歳でポーランドで行われるリピンスキ・ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリンコンクールで第1位及び特別賞を受賞。史上最年少記録となりました。11歳でミラノのヴェルディホールでリサイタルデビュー以降、国内外でオーケストラとの共演やリサイタル活動を行い、2013年、ブルガリアで行われた第9回ヤング・ヴィルトゥオーゾ国際ヴァイオリンコンクールでグランプリ及び特別賞を受賞。 また同年ロシアで行われたノヴォシビルスク国際ヴァイオリンコンクールにおいて13歳でシニア部門を飛び級で参加し、最年少グランプリを受賞、並びに審査員特別賞、新曲賞を受賞。2015年にはスイスで開催されたボリス・ゴールドシュタイン国際ヴァイオリンコンクールでグランプリを受賞。2017年まで東京音楽大学付属高等学校の特別特待奨学生として在籍し、現在は桐朋学園大学 ソリストディプロマコースに在学中。及びスイスのザハール・ブロン・アカデミーに在籍しています。 出典:ウキペディア
服部隆之の兄弟姉妹・親族
妹 服部奈緒
隆之さんの妹で、父 克久さんのマネージャーをしていました。
叔父 服部良次
俳優で「凄い奴ら」(1971年)、「月島狂奏」(1996年)などに出演。妻は女優の石井くに子(1949年〜)さん。
石井くに子さんバースデイトーク&ライブ。初恋地獄篇から始まる第一部映画&テレビ編と黒テント周辺を中心に語り劇中歌を歌う第二部舞台編とキャリア回顧決定版のイベントは、カルメン・マキさん、フラワーメグさん、新井純さん、羽仁監督夫人他気心知れたお客さん達とのホームパーティーの趣。 pic.twitter.com/I4zpIEgClH
— おく☆けん (@TOKEIWOTOMETE) January 30, 2019
従兄弟 服部有吉
良次さんくに子さんの息子、服部 有吉(はっとり ゆうきち、1980年9月12日 – )さんは、バレエダンサー。
服部隆之さんの家系は、代々続いていく華麗なる芸能一族でした。これからも多方面で私たちを楽しませてくれることでしょう。
