反骨精神をもち、抽象絵画の生きる伝説と言われるラリー・プーンズの妻、ポーラ・デルシア・プーンズ。
彼女もまた抽象画家、彫刻家で多くの作品を創作しています。ラリーとの芸術活動や私生活はどんなものなのでしょうか。
ポーラ・デルシア・プーンズの略歴
1953年にニュージャージー州パターソンで生まれました。
父親は医者でしたが、家の周辺は絹織物工場が多く、あまり環境の良い場所ではありませんでした。ポーラが6歳の時に家族は北部のノース・ホルドンに移り、道端でも安心して遊べるようになったそうです。
高校卒業時にはアスリート最優秀賞を授与されたそうで、夫 ラリーとバイクレースに参加しているスポーツセンスの良さがわかります。高校卒業後はニュージャージー州リッジウッドの小さな私立の美術学校へ通いました。
その後、カンザス州カンザスの美術学校に行って、コンテンポラリーアートに興味を持ち始めます。卒業後はニューヨークで制作活動をしています。
マーキス・フーズ・フーによって著名なアーティストとしてリストに載っています。
ポーラ・デルシア・プーンズの作品
ラリー・プーンズとの出会いと結婚
まだカンザス市の美術学校で学んでいるとき、1973年のクリスマスシーズンに友人とニューヨークに行って、ラリー・プーンズの個展を観ます。当時のラリーはすでにドット絵でとても人気のある画家で、オプアートのリーダー的存在でした。ポーラもすっかりラリーの絵画に魅了されてしまいます。次の年のクリスマスにはニューヨークに移り住み、ビルの地下室をスタジオにします。それと同じ時期にラリーが隣のビルに移ってきます。その周辺には多くの美術家たちがいて、例えば当時のMOMAの館長 ビル・ルビンや評論家のクレメント・グリーンバーグなどと熱いディスカッションを頻繁に行っていました。
またミュージシャンとの親交も深く、特にフォークシンガーのボブ・ニューワースとは(だからラリーの弾き語りがフォーク調なのか?)ローリング・サンダー・レヴューにも共に参加していました。
そうした芸術関係の交友の中で、ラリーとポーラはお互いのスタジオを行き交うようになり親しくなって、1977年に一緒に住み始めます。結婚は1981年12 月。ラリーは1937年生まれですから、当時25歳だったポーラより一回り以上年上です。40歳を過ぎたラリーがポーラとの結婚が初めてかどうかは不明ですが、40年近く一緒に生活しているところを見ると、きっとお互いにとっての素晴らしいパートナーなのでしょう。
ラリーとポーラ・プーンズの住まい
引用元:827 Broadway, New York, NY 10003 | popshop
ニューヨーク市のブロードウエイ通りのアパートメントビルディングが二人のスタジオであり住まいです。
建築家リチャード・マイヤーがデザインした美術館のようなアパートメントに住んで、40年以上ここに住んでいます。
リチャード・マイヤー(1934年10月12日生まれ)
引用元
アメリカの抽象芸術家兼建築家。プリツカー建築賞を受賞。バルセロナ現代美術館、ロサンゼルスのゲッティセンター、アトランタのハイ美術館、サンノゼ市庁舎など、いくつかの象徴的な建物を設計してきました。しかし2018年、マイヤーの従業員全員が彼をセクシャルハラスメントで告発し、2021年に辞任にしました。
この部屋は 以前にMOMAの絵画部門ディレクター ウイリアム・ルービンが住んでいました。
このアパートにはエレイン・クーニング、ジュール・オリツキー、ポール・ジェンキンズなどの抽象画家たち、美術批評家たち,ミュージシャンたちが住んでいました。
ポーラとラリーはこのアパートメントに40年以上住んでいます。家賃の値上げや立ち退き問題、裁判まで起こすトラブルもありましたが、ニューヨークの移り変わりを実見してきました。
エピソード
始めにこの部屋には夫のラリーが住んでいました。ラリーは絵の具を廊下にまで落としたりしているのをジェンキンズが見て「廊下に僕のキャンバスを置いておけば、僕の絵が完成するね」と言ったそうです。抽象芸術はこういった創作もありえますね。
ポーラ・デルシア・プーンズとラリー・プーンズ
ポーラ・プーンズは絵画、彫刻の制作、イベントのゲスト、そして夫ラリーの作品のマネジメントやアシスタントをしています。
ドキュメンタリー映画「アートのお値段」では、ラリーに常に寄り添い、甲斐甲斐しく彼の制作の準備や、展覧会への同行の様子が映し出されていました。
ラリーも90歳近くになり大画面の作品を一人で始めから終わりまでこなすのは難しいでしょう。アシスタントや業者を雇うのもいいですが、やはり長年一緒に暮らしているパートナーが行うほうが、ずっとやり易いと思われます。しかし、ポーラも70代になっていますから、いつまであの重たい絵の具缶を持てるのか、少し心配になります。
ポーラの印象は、自分の芸術よりも夫の芸術のために時間がさくことが、彼女の喜びのように感じられました。画面の中でいつも優しい笑みを浮かべていた姿は、とても自然に映っていました。