『ジーザス・クライスト・スーパースター』『エビータ』『キャッツ』『オペラ座の怪人』『サンセット大通り』などの数々の名曲を生み出しているイギリスの作曲家 アンドリュー・ロイド・ウェバー(Andrew Lloyd Webber)。
彼は恋多き男性で、付き合った女性の影響によって、様々な曲を生み出したともいわれています。
ここでは、ロイド・ウェバー氏の3人の妻
最初の妻 サラ・ハギル 1972〜1983
2番めの妻 サラ・ブライトマン 1984〜1990
現在の妻 間取りん・ガードマン 1991〜
と子どもたちをみていきましょう。
サラ・ハギル Sarah Hugill (結婚期間1972-1983)
ロイド・ウェバーとハギルは1969年に出会い、その一年後の婚約、そして1972年7月24日に結婚しました。この時ロイド・ウェバーは23歳、ハギルはわずか18歳でした。
この頃はロイド・ウェバーはすでに、作詞家のティム・ライスと組んで初上演『ジョゼフ・アンド・アメージング・テクニカラー・ドリームコート』をしていました。後の合作に1970年『ジーザス・クライスト・スーパースター』や1976年『エビータ』があり、1981年には『キャッツ』の上演をしています。
ハギルは年若いかったので可愛らしい印象ですが、時代的にロック要素が多く含まれていたのかもしれません。彼女は糖尿病を患っていながら、二人の子供を生みます。結婚生活は11年間続きました。
長女・長男
長女 イモージェン・ロイド・ウェバー 1977年3月生まれ。 作家、政治評論家
現在ニューヨーク在住で、グローバルな視点をもつ政治評論家として、定評があります。
長男 ニック・ロイド・ウェバー 1979年7月生まれ。作曲家。
「星の王子さま」のミュージカルやBBC1のドラマ「愛、嘘と記憶」などで知られ、イギリスで活動しています。
サラ・ブライトマン (結婚期間 1984年〜1990年)
1960年生まれ、イギリスのソプラノ歌手のブライトマンは、日本の紅白歌合戦にも2回ほど出場していて、日本人にも一般的に知られています。
1981年の『キャッツ』のオーディションの頃から、ロイド・ウェバーと付き合い出し、1984年には結婚。(ロイド・ウェバー36歳、ブライトマン24歳)
1986年に『オペラ座の怪人』にオリジナルキャストとして出演したクリスティーヌ・ダーエ役では、この役は彼女のために作られた役であり、ロイド・ウェバーはブロードウェイ俳優協会の反発を押し切って彼女をクリスティーヌ役に起用したのです。これで、ブライトマンは世界的な歌手となりました。
離婚の原因はブライトマンが非常に忙しく、一緒にいる時間がほとんど取れなくなったことと、今回もロイド・ウェバーに新しい恋人ができたことです。二人の間に、子供はいません。
マドリン・ガードン (結婚期間1991年〜現在)
1962年生まれで、元馬術競技選手。二人は馬術競技を通して知り合い、1991年に結婚。ロイド・ウェバーの慢性腰痛と前立腺がんで、自殺を考えるほどの鬱を患った時、彼の大きな支えとなりました。
二人の間には2人の息子と娘がいます。
1992年生まれのアラスター、1993年生まれウイリアム、1996年生まれのイザベラです。家族仲は大変良いらしく、家族は主にロンドンに住んでいます。
ガードンと結婚後の新作は以下のとおりです。
- 1993年、サンセット大通り(Sunset Boulevard)
- 1996年、ホイッスル・ダウン・ザ・ウィンド(Whistle Down the Wind)
- 2000年、ザ・ビューティフル・ゲーム(The Beautiful Game)
- 2004年、ウーマン・イン・ホワイト(The Woman in White)
- 2010年、ラヴ・ネヴァー・ダイズ(Love Never Dies) – オペラ座の怪人の続編
- 2011年、オズの魔法使い (The Wizard of Oz)
- 2015年、スクール・オブ・ロック (School of Rock)
作曲に恋する妻は必要?
ロイド・ウェバーの結婚歴を見てみると、その当時彼が人生で何を求めているかが、わかるような気がします。
彼はたしかに結婚によって家庭というものを作りたかったのも理解できますが、妻にどのような愛で接していたのかが曲が物語っているようです。ハギル時代は革新的なものを、ブライトマン時代は何十年と人々に愛されつづけるものを、そしてガードン時代に入ると安定し、もとある資産を増やしていくようなタイプの活動をしています。
どの時期もロイド・ウェバーが一人の女性に熱烈に恋をし、自分のものにしたことで、作曲に影響をあたえていますから、芸術家には自分にとって絶対的な女性が必要なのでしょう。