戦後の日本の写真界を切り開いた奈良原一高(ならはら いっこう)氏。
従来のドキュメンタリー写真を変えた作品に高い支持を集め、商業写真にも積極的に活動し、海外での評価もえています。
ここでは、奈良原一高氏のプロフィール、経歴、学歴、賞歴、写真展を紹介します。
「生きるとはなにか」をテーマに、病気からインスパイアされた作品はどんなものでしょうか。
奈良原一高のプロフィール 経歴・学歴・賞歴
生年月日:1931年11月3日
没年:2020年1月19日 享年88歳
出身地:福岡県大牟田市
学歴:早稲田大学法学部卒、早稲田大学院芸術修士(美術史)取得
経歴
父親は裁判所の判事、検事をしていました。奈良に滞在したときに美術に興味を持つようになり、法学部を卒業したあと、大学院で美術史を学びます。前衛美術に傾倒し、1955年に、池田満寿夫、靉嘔(あい・おう 飯島孝雄)らが結成したグループ「実在者」に参加。
「実在者」グループ
画家 堀内康司の呼び掛けで集まった4人のグループ 。「テーマ【戦争】展」などを開催するが、わずか2年、計3回の企画で解散。その後、各作家それぞれの分野で活躍していく。引用元:http://shinobazu.com/artists/
長崎の端島や鹿児島の黒神村へ頻繁に訪れ、1956年、初個展「人間の土地」を開催し、在学中、写真家として活動をスタートします。
大学院卒業後、1959年、東松照明・細江英公・川田喜久治・佐藤明・丹野章と、写真家によるセルフ・エージェンシー「VIVO」を結成。
ドキュメント写真を撮りながらも、ファッション写真の仕事をし、1962年渡欧。パリでファッション写真を撮りながらヨーロッパを3年間巡り、その間の作品を帰国してから発表し、数々の賞を受賞します。
1970年、渡米し4年間滞在中、 『モダン・フォトグラフィ』誌の「世界の32人の偉大な写真家」にも選ばれています。
帰国してからも毎年海外を訪れ、ファッション、CMや独自のテーマでの分野の広い写真活動を精力的に行ってきました。
1988年ごろから病気にかかり、病床につきますが、自分のレントゲン写真から新たな発想が湧き、1994年に『空 (くう)』を出版。
主な受賞歴
- 1967年 日本写真批評家協会賞作家賞
- 同年 芸術選奨文部大臣賞
- 同年 毎日芸術賞
- 1986年 日本写真協会年度賞
- 1996年 紫綬褒章受章
- 2006年 旭日勲章受章
奈良原一高の作品
王国 沈黙の園・壁の中
無国籍地
引用元:https://www.youtube.com/watch?v=IYWEqLOBeoo
奈良原一高の写真展
奈良原一高 追悼展「消滅した時間」
会場:タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム
住所:東京都港区六本木5-17-1 AXISビル 2F
TEL:03-5575-5004
会期:2020年2月29日(土)から4月4日(土)
1970年代のアメリカ滞在中に撮影された作品群「消滅した時間」。ニューメキシコやユタ、ニューヨークなどを収めた作品約10点を展示。
過酷な環境で生き続ける私たち
1956年の「人間の土地」ででは、奈良原は軍艦島と鹿児島県の桜島を撮影しています。
世界遺産の登録された「軍艦島」は今は廃墟となり、観光地ともなっていますが、当時の過酷な状況が、奈良原一高氏の写真から伺うことができます。健康を害するほどの肉体労働や密集し閉鎖的な生活環境。桜島の村でも同じですが、そのような環境で人々はどのように生き抜いてきたのかがよくわかります。
しかし、過酷な状況での生活は、経済的な貧しさがなくとも、現在でも私たちは感じているのではないでしょうか。仕事の重責や長時間労働、家庭不和、将来への不安は、肉体的だけでなく、精神的にも私たちを追い詰めていきます。そこで私たちはどのように生きていくのが正しいのでしょうか。
私たちは奈良原一高氏の写真から、あらゆる生活環境での私たちの「生き方」が問いただされているような気がしてなりません。
参考:
https://www.cinra.net/column/naraharaikko_report
https://www.moma.org/artists/2803 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%88%E8%89%AF%E5%8E%9F%E4%B8%80%E9%AB%98