明治から昭和までの日本を代表する浮世絵師、日本画家の鏑木清方(かぶらき きよたか)。
美人画では伊東深水と並び称され、近代小説の挿絵などでも馴染みのある作品を作っています。
ここでは、鏑木清方のプロフィール、経歴、学歴、賞歴をふくめ、結婚した妻や子供、子孫についてエピソードを交えながら見ていきます。
清方は金沢に別荘を持っていましたが、ここでの家族との生活が、彼の大きな転機となっています。また、自宅や美術館も紹介します。
鏑木清方のプロフィール 経歴・学歴・賞歴
本名:条野健一
生年:1878年8月31日
没年:1972年3月2日 享年93歳
出生地:東京府神田佐久間
学歴:東京英語学校 中退、浮世絵師 水野年方に師事
清方の父は、作家であり、ジャーナリストで新聞社を経営していました。17歳の時母方の家督を継ぐために、条野から鏑木の姓を変更します。
師の水野年方から清方の雅号を与えられ、父の経営する新聞社などの記事の挿絵を描き、プロとして活躍し、日本絵画協会展にも作品を出店します。挿絵を描いていることで、尾崎紅葉や泉鏡花との交流も始まります。
戦後も失われた明治時代の東京の風景の作品を日展に出品。
浮世絵の流れをくみ古風な画面構成で美人画も人気が高かったのですが、清方本人は生活と密着した町の風景を描くのを好んだようです。
朝夕安居 (部分) 1948 引用元:https://page.auctions.yahoo.co.jp/
鏑木清方の結婚した妻と子供や子孫
清方の妻 照、長女 清子、次女 泰子(1911年生まれ)。
清方は良き夫、良き父親であったようで、家族で連れ立って散歩や海水浴に行っていたりしたようです。美人画を多く描いた画家であれば、愛人が何人いてもおかしくはないのですが、浮いた噂は見つかりませんでした。円満で幸せな家庭であったと思われます。
清方の子孫ついては公にされていません。
代表作「朝涼」と金沢八景の別荘
清方は1920年、横浜市金沢区谷津町に別荘をもちます。清方と家族は一緒に、夏の間この別荘で過ごし、20年間、朝晩の散歩や海水浴を楽しみました。
別荘は母屋のほかに高台に四阿(あずまや)があり、ここからは、金沢八景の ほぼ全容を見渡すことができたそうです。四阿は「游心庵(ゆうしんあん)」と名付けられ、後にアトリエに改築されました。
この金沢の風景や自然、日常の生活を描いた数々の作品が、『游心庵絵日記』となっています。
清方はこの別荘を買った当時、辛辣な批判を受けたこともあり、自分の作品の方向性に悩んでいたと言われています。しかし、この別荘で過ごすことで、東京都は違う自然や生活に触れ、心が癒やされ、新たな作風を見出し、画家としての地位を揺るぎないものにしたようです。
朝涼 1925 引用元:https://store.shopping.yahoo.co.jp/
代表作のひとつ『朝涼』は、まだ月がうっすらと西の空に見える早朝、空に長女の清子と一緒に散歩をしていたことに基づいています。第6回帝国美術院美術展覧会に出品し、この作品で「全く自分を取り戻した」と清方は語っています。また、この絵の少女が着ている紫がかった着物の色は「清方ブルー」と言われ、独自の色彩も生み出しました。
この『朝涼』の清々しい美しさには、ほかの美人画の作品がかすんで見えてしまいそうです。
鏑木清方の自宅 「鏑木清方記念美術館」
清方は1946年(昭和21年)から、鎌倉の雪の下に自宅を構え、逝去するまでその自宅で過ごしました。
1993年に遺族から鎌倉市に寄贈され、美術館といて開設するために、解体し、1998年4月に「鎌倉市鏑木清方記念美術館」としてオープンしました。
鎌倉市鏑木清方記念美術館
〒248-0005 神奈川県鎌倉市雪ノ下一丁目5番25号