ベルリン在住の現代美術家、塩田千春(しおた ちはる)。
「生と死」という生物の還元的な問題を軸にし、大規模なインスタレーションを繰り広げて、世界的な評価を得ています。
本記事では、塩田千春氏のプロフィール、経歴、学歴、賞歴、作品と展覧会を紹介します。
塩田千春のプロフィール
氏名:塩田千春 (しおた ちはる)
生年:1972年
出身地:大阪府岸和田市
居住地:ドイツ ベルリン
生と死という人間の根源的な問題に向き合い、「生きることとは何か」、「存在とは何か」を探求しつつ、その場所やものに宿る記憶といった不在の中の存在感を糸で紡ぐ大規模なインスタレーションを中心に、立体、写真、映像など多様な手法を用いた作品を制作。 出典:https://www.chiharu-shiota.com/
塩田千春の学歴、経歴、賞歴
塩田千春氏は1072年に大阪で生まれ、ダンボール製造業の両親と、2人と兄弟と共に育ちます。
大阪府立港南造形高等学校卒業後、京都精華大学洋画科に入学。
1993年からオーストラリア国立大学キャンベラスクールオブアートに交換留学生として留学し、1996年、ハンブルク美術大学に入学。
1997年から99年までは、ブラウンシュバイク美術大学にてマリーナ・アブラモヴィッチに師事。
マリーナ・アブラモヴィッチ 現代美術家
1946年、ユーゴスラビア生まれ。自分の肉体に暴力を加える過激なパフォーマンスが特徴。
1999年から2003年までベルリン芸術大学にてレベッカ・ホルンに師事する。
レベッカ・ホルン
1944年生まれのドイツのビジュアルアート、インスタレーションアート、映画監督。突き出た大きな角や羽を使った、身体機能の拡張系が特徴。
2002年、Philip Morris Art Award を受賞。
2008年、芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。
2015年には、第56回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本館代表作家として選出されています。
個展を日本、ヨーロッパで多数開催し、金沢21世紀美術館に、『記憶の部屋』という旧ベルリンの窓を集めて作った作品があります。
塩田千春の作品
<引用元:https://youtube.com/>
作品の作り方
塩田氏の作品展示には、20名近くのスタッフと一緒に数週間で仕上げていくそうです。
特別な技術はいらないと言っていますが、ネットがピンと張った状態でないと完成できないので、スタッフには全面的に信頼をおいているとのこと。
大規模な作品が多いので、展示する前には展示場の広さを測り、その場を包み込むような構成、例えて言うなら、肉体と精神を一定のスペースに入れるような感覚で創作します。
その後。スケッチをして展示場に提案しますが、実際に仕上がった作品は、構想時のものとはかなり違ったものになることが多いそうです。
塩田千春の展覧会・個展
2019年に森美術館で『塩田千春展:魂がふるえる』が開催されました。
塩田千春氏の過去最大規模の個展です。副題の「魂がふるえる」には、言葉にならない感情によって震えている心の動きを伝えたいという作家の思い、大型インスタレーションを中心に、立体作品、パフォーマンス映像、写真、ドローイング、舞台美術の関連資料などを加え、25年にわたる活動を網羅的に体験できる初めての機会になります。「不在のなかの存在」を一貫して追究してきた塩田の集大成となる本展を通して、生きることの意味や人生の旅路、魂の機微を実感していただけることでしょう。 出典:https://www.mori.art.museum/
2020年後半は海外で作品を見ることができます。
2020年9月25日 – 11月29日
「メイ・トゥ・デイ」グループ展、光州ビエンナーレ財団、光州、韓国
2020年9月22日 – 12月6日
「命の糸」個展、ブラジル銀行文化センター、ブラジリア、 ブラジル [巡回展]
2020年9月7日 – 2021年1月31日
「限界を超えて」、グループ展、 メルツ財団、 トリノ、イタリア
2021年5月1日ー8月29日
台北市立美術館 (台湾)
塩田千春の赤、黒、白
「私にとって黒は宇宙のようなものです。たった一つの弦に従うことができず、それらすべてが無限になるのです」
「赤は血の色であり、人間関係を象徴しています。ある意味では、両者は同じことを話しています。人間としての私たちは、大きいものの小さな部分であるのです」
「そして、私にとって白は新鮮なスタートのような、純粋な色です。日本では、それは死の色ですが、死は私にとって終わりを意味するのではなく、それはより空白の形であり、また新しい始まりでもあります。」 出典:http://annaschwartzgallery.com/
塩田千春氏の大規模な作品を見ると圧巻され、禍々しさを感じながらも美しさに惹かれます。
そして、テーマである「生」「死」「存在」「コミュニケーション」がどのように表現されているのかを考えさせられるでしょう。
しかし、鑑賞者によってその解釈は様々で、同じ回答が出ることはなく、ますます迷路に踏み込んでいった感覚を伴います。
それは私達が永遠に追い求めている何かが、霧の向こうで見え隠れをする感覚に、非常に似ているのではないでしょうか。