アール・ヌーヴォーを代表するチェコの画家 アルフォンス・マリア・ミュシャ(Alfons Maria Mucha)。
妖艶な女性のイラストで私達を甘美の世界に誘い込みますが、モデルは妻や恋人であったと言われています。
この女性たちはどんな人だったのか、ミュシャとはどんな関係だったか、子供たちはどんな人物かを見ていきましょう。
ミュシャの妻 マシュルカ ヒティロヴァ 1822ー1959
1906年6月10日、ミュシャはチェコ人のマシュルカ ヒティロヴァ(maruska marie chytilova)と結婚。
ミュシャが46歳、マシュルカ26歳のときで、この結婚が初めてです。
マルシュカはパリの美術学校の教え子でもあり、女性画家でもありました。
ミュシャは1903年にパリでマルスカに出会いました。
マルシュカの叔父で有名なチェコの美術史家であるカレル・チチル博士の紹介で、ミュシャは彼女に個人的な絵のレッスンをすることになります。
また、同じチェコ人ということで、家族ぐるみの付き合いがあり、周囲が強く結婚するように勧めたそうです。
ミュシャの晩婚の理由は、結婚する女性に対しての条件が厳しく、その一つは「チェコ人であること」でした。
マルシュカは、礼儀作法がよく身についていて、読書・音楽・芸術が大好きで、魅力的であったので、ミュシャにとって理想的な女性だったと思われます。
二人は、新婚旅行に行ったボヘミアの南西部ホドスコで、共同制作の『真福八端』を描きます。
ミュシャの絵の装飾を、妻マルシュカが描いています。
ボヘミア的な民族衣装を身に着けたふたりの赤毛の少女。
左側にいる卵の入った小鳥の巣を両手に持つ少女は、盲目であることを窺われ、感覚で生き物の存在を理解しようとしている様子です。
マルシュカが手がけた草木をモチーフとした周囲の装飾は、この二人の少女を優しく包み込むような構成で、主題である「心の清きものが神を見ることができる」という雰囲気がよく伝わってきています。
ミュシャはマルシュカの肖像画も何点か描いています。
ミュシャの子供
結婚生活は円満で、ニューヨーク滞在中に長女ヤロスラヴァが生まれます。(1909ー不明、画家・作家)。
彼女は、ミュシャのモデルや制作のアシスタントも務めました。
1915年にはプラハで、長男ジリが生まれます。(1915ー1991)
ジャーナリストで作家であったジルは、ミュシャの研究家としても知られています。
ミュシャはマルシュカと結婚後、金銭的な援助を受けることなく成功し、完成までに20年かかった『スラブ抒情詩』を制作し始めます。
マルシュカはミュシャの最も忠実な支持者であり、ミューズであったことに間違いはありません。
ミュシャの愛人 ベルト・ド・ラランド
ベルトはミュシャがマシュルカと結婚する前に8年間付き合っていた女性です。
フランス人で職業はウエイトレスだったといわれ、ミュシャは彼女をモデルとした写真、イラスト、絵画を多く残しています。
引用元:https://womeninarthistory.tumblr.com/
8年間付き合ってミューズ的なモデルでもあった愛人のベルトと結婚しなかったのは、ミュシャの結婚する女性の理想が高かったからでしょう。
チェコ人ではなく教養も家柄も高くないベルトは、いくら彼の芸術に貢献してもミュシャの妻になれませんでした。
マシュルカとの結婚後はきっぱりとミュシャとの関係を立ち、死亡する57歳まで独身であったといわれています。
ミュシャのミューズ 女優サラ・ベルナール
サラ・ベルナールはフランスの舞台女優女優(1844−1923)。
ミュシャの芸術家としての人生で最も影響力のある人物です。
サラ主演の最初のポスター「ジスモンダGismonda」が大評判で、ミュシャは知名度をあげました。
1894年にサラからの依頼で描いた「ジスモンダ」で、ミュシャは6年間の専属契約を受け、お互い公私共に影響を受け親交を深めていきました。
サラはミュシャだけのミューズではなく、すでに大女優であったため多くの文化人から注目の的であり、女神的な存在でした。
しかし、ミュシャのイラストはサラを不死であると神格化し、美の象徴としてのイメージを大衆に与えました。
当時すでに50歳であったサラを年を取らない、特別な女優として仕立て上げたところは、他の芸術家とは違うところです。
恋多きサラは有名人の恋人が人生のいつの時期でもいましたが、ミュシャとの関係は恋愛ではなかったようです。
年齢も離れていたし、お互いの芸術性を尊敬し合うビジネスパートナー的な仲であったことが伺われます。
ミュシャの女性への美意識
ミュシャは商業用の作品を制作していたので、モデルは何十人といますが、やはり女性に対しての美意識が顕著にでているのは、イラストでしょう。
流麗な曲線と明るい色彩で描かれる女性像は、どれも官能的で女性の陽の部分が表現されています。
これはミュシャが女性という概念に非常に高い理想があったことが影響され、また女性を愛おしむという深い女性崇拝の思想も含まれているように思われます。
ミュシャのイラストを見ていると、全ての女性はミューズであると語りかけているような感覚が湧き上がってきます。