エコール・ド・パリのポーランドの画家 モイズ・キスリング Moise Kisling.
破滅型の多いエコール・ド・パリの画家たちの中では、珍しく仕事でも家庭でも幸せに生涯を送った画家であり「モンパルナスの帝王」とも呼ばれていました。
そのキスリングの妻ルネも、愛妻家の夫を持ち、他の芸術家の妻や恋人たちより、数段幸福感に満ち溢れた人生でした。
キスリングの妻 ルネ プロフィール Renee Kisling
ルネ・グロは1896年、パリに生まれます。
キスリングより5歳年下です。
父親は騎兵隊長でした。
美術を学びパリで写真と撮りながらボヘミアン生活をしている時に、キスリングに出会います。
1916年にキスリングと結婚し、南フランスを共に点々と移動し、二人の息子をもうけ、キスリングが亡くなるまで一緒にくらし、1960年、64歳で逝去。
ルネの性格
ルネはパリで最初にスボンを履き、ボブカットの髪型にした女性と言われています。
いつでも大声で笑い気の強い陽気な女性でした。
サロンでは夫と常に同席し、ピカソやモディリアニの親交もあり、パーティが好きで、夜遅くまで友人たちと話し込み、早く帰る人がいると泣いてすがったこともありました。
ルネは美人ではなかったのですが、周りの人は誰もが彼女の赤毛、大きな鼻、そして尖った顎をすぐに好きになり、褒め称えたそうです。
キスリングも非常にルネの外見も愛しており、1916年から1928年にかけて多くの肖像画を描きました。
またキスリングの親友であるモディリアニもルネとキスリングの肖像を何枚も描いています。
キスリングが描いたルネの肖像画
キスリングは愛妻ルネをモデルにして数々の絵を書きましたので、いくつかをご紹介します。
ルネの幸せ
キスリングは若いときからその才能を認められ、画家としての職業が成り立っていたところから、エコール・ド・パリの画家たちの中では、幸運に恵まれていたようです。
また画壇での確実な地位を築きながら、ピカソのように多くの愛人を作ることなく、妻のルネと二人の息子を愛し、いつも行動をともにしていたことは、家庭も充実していた証拠なのでしょう。
芸術家にとって、裕福が良いのか貧困が良いのか、また誠実な家庭をもつのがよいのか、多数の愛人を持つのが良いのかは、そのアーティストの信念によって大きく変わってきます。
キスリングの場合は、裕福で誠実な家庭であったことが、彼の芸術性を広げていったのでしょう。
そして、キスリングの妻ルネは、画家仲間の妻たちのように、夫の貧困、ドラッグ、アル中、浮気に悩むことはなかったはずです。
肖像画ではけだるく眠たそうに描かれているポーズが多いのは、これはルネの安心感を表しているようにも見えます。
殺伐としていながら深い悲劇を画家と共に味わったエコール・ド・パリの妻たちの中では、ルネは一番幸せな女性だったといえるのではないでしょうか。