SF作家の眉村卓(まゆむら たく)氏。
1961年にデビューし、多数のSF小説を書き上げています。
最近の話題代表作は、妻の闘病生活のために毎日ショートストーリーを描き綴った『僕と妻の1778の物語』
毎日休まずに400字詰めの原稿用紙の3枚以上ショートストーリーを、亡くなるまでの5年間書くということは、プロの作家であっても大変難しいこと。
それができた故眉村卓氏と妻 悦子氏は、どのようにして出会い深い夫婦の絆を結び、どんなエピソードがあるのでしょう。
『僕と妻の1778の物語』
毎日1話、余命宣告をされた妻のために書いたショートストーリー。
眉村氏は余命少ない妻のために、自分ができることは少しでも気分を良くしてあげることだと思い、病気や殺人、また苦手な恋愛の内容は避け、日常の他愛もない事に少し空想を加え、書いていきました。
実は2010年の出版される前、悦子氏の闘病中にこのストーリーを出版したいと一度、編集者に打診したのですが、「万人にむけられたものではない」断られたそうです。そこで、眉村氏は100話ずつまとめて10冊1000話までを自費出版でだしています。
このストーリーは2011年、草彅剛、竹内結子主演で映画にもなりました。
眉村卓と妻 悦子の出会いから結婚まで
眉村氏と悦子氏は同じ高校、大阪府立住吉高校の同級生でした。
当時は単なるクラスメートで、高校卒業後、悦子氏は銀行に勤務し、眉村氏は大阪大学経済学部に進みます。
数年後の高校の同窓会で再開し、お付き合いが始まり数年後、眉村氏が大学を卒業し就職すると結婚。
赤い糸の運命は、身近の人とつながっているということでしょうか。一緒に勉強していた頃はなにも感じなかったのに、数年後に再会したときにピンとくる何かがあったのですね。
小説家として自立するきっかけ
眉村氏は高校時代から小説を書くのが好きでしたが、大学卒業後は耐火レンガのメーカー会社に就職します。
会社勤めをしながら、小説を書いていて、1961年にハヤカワのSFコンテストで佳作入選して、小説家としてデビューします。
会社員と小説家という、どちらが副業とも言えない二足のわらじを履いていたわけですが、やはり小説に専念したいと考えるようになりました。
妻 悦子氏も自分では書かないまでも文学少女で、読書が大好きでしたので、眉村氏が小説を書くことに、非常に協力的だったようです。
例えば、会社の仕事を家まで持ち込んで遅くまで働いている時は、さっさと自分だけ寝てしまいますが、小説を書くのに原稿用紙とにらめっこしている夜などは、お茶をだしたり、一緒の遅くまで起きていたそうです。
ですから、眉村氏が専業作家になりたいと言った時、とても喜んで「うまくいく」と応援してくれたとか。
こうして、妻のサポートを得て、思い切って会社を辞めて小説だけに打ち込むことができたということは、転職や起業をする時に、パートナーの理解は大変重要なものだと感じます。
悦子氏の場合は夫の文才に気がついていたため、興味のない仕事を続けるよりも好きなことに専念するほうが、経済的に多少苦しい時期があるにせよ、二人で豊かな人生を送れることがわかっていたのですね。
妻の発病と作家としての転換
悦子氏が大腸がんで余命宣告されたのは、1997年のことでした。
眉村氏はがんに効くといわれる民間治療もすすめたり、なるべく妻の負担にならないように過ごすことを心がけました。
その当時、眉村氏の今までの作風が世間にあまり受け入れられなくなってきていて、仕事の面でも行き詰まりを見せていたのです。
そこで、妻の闘病中はなるべく家にいるようにして、仕事での外出は大学の教鞭をとることだけにしたそうです。また小説も、人気が出なくても自分の好きなものを書こうと、決意しました。
そして自分が闘病生活の妻にできることは、少しでも気持ちを明るくさせることだと気づき、妻のためだけに新しい物語を書いていったのです。
そのショートショートは劇的な展開はなく、現実世界で起こりそうで起こらない非現実的なストーリーが多く、オチもいれないものもありました。
妻の笑顔が見たくて書いていったすとーりーですが、時として悦子氏の感想に驚き、眉村氏のほうが触発されたこともあったそうです。
1999年には夫婦でイギリス旅行にも行きましたが、その間もストーリーを書くことは辞めず、ホテルで執筆していました。
こうして、眉村氏が一日も休まず書き続けた理由は、もし、書くのを辞めたら妻の病状が悪化してしまうのではないかとの恐れが内心はあったそうです。
しかし、2002年5月28日に妻 悦子氏は5年の闘病生活を経て亡くなりました。
妻の死後
妻 悦子氏の死後、重い喪失感を味わい、悲しみから逃れられずパチンコ三昧の日々をしばらく送っていたといいます。
しかし、眉村氏は「自分には書くことしかない」と覚醒しまた作家活動を始めます。
自身も2012年には食道がんを患い、2016年にはリンパ腫瘍ができ、声が出しにくくなりました。
自分も妻も「死」ということに直面し「あの世」と「この世」の境はないと悟ったそうです。
作品も「現実世界」と「架空世界」を行き交う自由な構想を練り、SF世界から「自分」をベースにした起こりそうなストーリーに変わりました。
日頃から「生と死」について考えをめぐらし、どのように死んでいくのが良いのかも仮想していたそうです。
眉村卓氏は、奥様が亡くなっても、余生とは考えて折らず、これからもまだまだ自分の書きたいものを書いていき、あの世で待っている妻に会ったときには、「前代未踏の作家になった」とも言ってみたいと語っていました。
眉村氏にとって妻 悦子氏は常に最初の読者であり、創作していく上での協力者でありました。仕事でもプライベートでも支え合い生きてきた、まさに人生のパートナーそのものだったのです。
そして眉村卓氏の妻への最後のメッセージは「また一緒にくらしましょう」という生と死を超えた永遠を感じさせる言葉でした。
2019年11月に85歳で眉村氏も亡くなりましたが、今は天国で奥様と一緒に幸せに暮らしていることでしょう。
参考:『妻に捧げた1778話が私を救った』、ヨミドクター「眉村卓インタビュー」
眉村卓のプロフィール
本名:眉村卓児 (まゆむら たくじ)
生年月日:1934年10月20日
没年:2019年11月3日 享年85歳
出身地:大阪府大阪市
学歴:大阪大学経済学部 卒
会社員、コピーライターを経て小説家になる。代表作品に『なぞの転校生』『ねらわれた学園』『消滅の光輪』『時空の旅人』『僕と妻の1778の物語』などがある。
「司政官シリーズ」で1979年に泉鏡花文学賞、1996年に星雲賞日本長編部門を受賞している。