ジョルジュ・ルオー(Georges Rouault)は、野獣派に分類される19世紀~20世紀期のフランスの画家です。
1871年5月27日にパリの家具職人の息子として生まれました。
画家になる決意をしたのは、ジョルジュ・ルオーが19歳の時。
画題としてはキリストを描いたもののほか、娼婦、道化、サーカス芸人など、社会の底辺にいる人々を描いたものがほとんどです。
ルオーは版画家としても20世紀のもっとも傑出した作家の一人で、1914年から開始した版画集『ミセレーレ』がよく知られています。
今回は版画集『ミセレーレ』の作品に秘められた悲しみの前衛表現作品を紹介します。
版画集『ミセレーレ』
版画はルオーの幼い頃から身近に有り、ルオーの美術との出会いの大きな役割を果たしました。
場末の労働者街で生まれたルオーは、裕福とはほど遠く、安価で手軽に複製画が手に入る版画に多く触れていたのです。
画家として、一番に敬愛していた師は、ギュスターヴ・モローで、ルオーは終生、モローに忠誠を誓っていたそうです。
ルソーは、ギュスターヴ・モロー美術館の初代館長となっていて、ルオーは同美術館に住み込みで働いていたが、給料は安く、生活は楽ではなかったのです。
そこで、制作費用が高くはない版画に取り組んでいきます。この版画集は、ルオーが41歳から56歳に至るまでの15年間にわたり制作されました。
父の死を契機に着想を得て、第一次世界大戦を経て次第に成熟していきます。
素朴な父の死と大量虐殺という戦争に対する激しい憤慨が色濃く反映している作品集です。
58枚の銅版画は、ルオーの精神の強さが伝わる、全体的に、そぎ落とされた荒削りな力強いフォルムと、独特なマチエールで、成り立っています。
版画集『ミセレーレ』の作品
悩みの果てぬ古き場末で
au vieux faubourg des longues peines
1923年 56.5 x 41.8 cm.
暗い画像の中の、母と子の打ちひしがれた姿が悲しみの痛みをかんじます。真ん中に構図された枯れた大木が、全体の風景を阻み、未来への希望を持てないことを、象徴しているかのようです。
罠と悪意のこの世にただ独り
Solitaire, en cette vie d’embuches et de malices
1948年 57.5×41.5cm
苦悩に満ちた男性が、この世の悪のすべてに、見舞わられ、何もかも失い裸のままで、なおも苦しんでいます。ルオー独特の太い輪郭が、孤独を一層強調しています。
この版画集で、でてくる男性はキリストで女性は聖母マリアであるという見解が多くあります。
自分を王だと信じているが
Nous croyons rois
1923年 59x42cm
コチラはカラーでもあります。
光のない瞳が観覧者をじっと見つめ、現実を認めない虚栄の中の怯えを垣間見ることができます。しかし、それは、また困難な状態でも、決してあきらめない不屈の闘志とも、感じられます。
神よ、われを憐れみたまえ、あなたのおおいなる慈しみによって
1922年 57.5×42.0cm
ルオーは熱心なカソリックの信者でした。
下図はキリストでも有り、祈るルソー自身でもあるのです。
我らは死すべきもの、我らも我らの仲間すべても
1924年 59x36cm
ぐんにゃりとした定まっていないような輪郭が、死の恐怖を表し、定めをうけいれるようにと、促しているようです。
重厚な質感が、人は死ぬのであるからこそ、生きなければならない、と語っているようです。
高慢と無信仰のこの暗き時代に地の果てより聖母は見守る
1927年 58.8x43cm
後光を表す白でのぼかしと、背景に広がる田園風景と丘はダヴィンチを思わせます。我々であろうと、神は必ず救ってくれるという悲痛な願いが聞こえてきそうです。
まとめ
『ミセレーレ』:高慢と無信仰のこの暗き時代に、地の果てより聖母は見守る」と題されたこのルオーの集大成ともいえる版画集は、モノトーンの重厚感あふれる画面で、ルオーの崇高な精神が感じられます。
一度、画集をじっくり眺めて、ジョルジュ・ルオーの切なる思いを感じてみるのも、良いのではないかと思います。