老舗和菓子店「船橋屋」の8代目、渡辺雅司社長!
渡辺雅司社長は元銀行マンでしたが、現在、「船橋屋」の社長として、関東圏を中心に29店舗もお店を構え、和菓子店として大変有名です。
葛餅といったら「船橋屋」ですよね。子供の頃から慣れ親しんでいます。
今回は、「船橋屋」8代目社長、渡辺雅司の出身高校、大学、経歴、「船橋屋」の売上、そして気になる年収について調べてみました。
渡辺雅司のプロフィール
名前: 渡辺雅司(わたなべまさし)
生年月日:1964年2月16日
年齢: 54歳
出身: 東京都
職業: 船橋屋 8代目社長
趣味:健康オタク
実は、渡辺氏は健康オタクなんです。
血管年齢は27歳で、糖化年齢は36歳。
渡辺氏のモットーは、「加齢はしても、老化はしない」だそうです。
細マッチョな体型とハリのある肌。「23歳の娘と歩くと、彼氏に間違われることもある」そうです。
イケてるおじさまですね。たしかに54歳には見えません。
渡辺雅司の出身高校
立教新座高等学校です。
セントポールだったんですね。偏差値はなんと72。
中高一貫で立教大学にも進学できるお坊ちゃまエリート学校です。そして、校風もかなり自由。
ここの学生は優秀なだけじゃなく、すごーくおしゃれ。
近くに慶応の高校もあるんですが、断然、立教の高校生のほうが垢抜けてるんですね。
部活はテニス部に所属をしていましたが、先輩に対する上下関係、連帯責任で道理に合っていないことを感じ、1年で退部したそうです。
立校でテニス部なんて、王子様まるだしですが、渡辺氏は、高校時代から、枠組みにはめられるのが嫌で、自由に生きるのを選択しているのですね。
渡辺雅司の大学は?
立教大学経済学部
やっぱり上の学校に進学したんですね。
大学時代はアルバイトにも精を出し、百貨店の配送の仕事をしていました。
そのころから、ビジネスには貪欲で、配送前日からどのルートで回れば効率がよくて数多く配送できるか?ということを常に考えていたそうです。
アルバイトなのにそんな事考える学生ってあんまりいませんよね。
勉強よりも、ビジネスに強い興味があったんですね。
渡辺雅司の経歴は?
渡辺雅司は、大学卒業後の、1986年に旧三和銀行(現三菱UFJ銀行)に入社。
世界一の銀行、三菱UFJですよ。新卒から頭が下がります。
そこで、企業融資や債券トレーダーなどの業務を経て退職し、1993年に船橋屋に入社。
2008年、8代目として代表取締役に就任しました。
渡辺氏が44歳のときです。老舗和菓子屋の若き社長ということで、当時は業界で話題になりましたね。
大学卒業時は、家業を引き継ぐ気はなく、大学を出て銀行に就職しておられますが、祖父の苦労を聞いた渡辺雅司さんは継ぐ決意をされたそうです。
苦労があるということは、やりがいもあるということですから、渡辺氏は困難な環境に燃えるタイプですね。
渡辺氏が社長就任したときは、昔ながらの伝統とよい文化は残しつつも、現代への適応ができていないところがありました。
それで、抜本的な改革を行いながらも、歴史を引き継ぐという方向に変えたとのこと。
その結果、新卒採用のエントリー数は、16,000人をも超えるほど、若い人達からも注目される企業となったのです。
売上げと渡辺雅司の年収は?
株式会社船橋屋は従業員200名で、売上高は2017年3月実績で16億の売上げです。
2018年3月、来年2019年3月の決算期の数字は、確実に16億円を上回っているはずです。
社長の場合は、一般従業員と違い、役員報酬となるので、前年度の売上高や利益額で給与を決定する傾向にあります。
しかし、役員以上になると、売り上げにはあまり響くことなく、年収が上がる会社もありますし、株や資産もあります。
現在の船橋屋は赤字経営ではなく、健全経営が続いているそうなので、社長の年収は6000万円ぐらいではないでしょうか?
まとめ
渡辺雅司は、お坊ちゃんエリート校のナイス・ガイであったのもかかわらす、ビジネスに貪欲に取り組む方でしたね。
「船橋屋」は能力を重視した経営方針ですから、必ず子供が後を継ぐということはないのに、実力で社長になった方でした。
これからも、伝統ある美味しい和菓子を沢山作って、私達を楽しませてください。
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