生き方

重太みゆきの若い頃はかわいい?印象行動学者になるまでの経歴ときっかけをチェック!!

印象評論家、印象行動学者・大学教授、インプレッショントレーナーと沢山の肩書を持つ重太 みゆき。

日本の印象行動学の第一人者として、メディアでよく見かけますね。

現在は、若く、美しく、そして知的な印象ですが、若い頃はどうだったんでしょう?

一説では、クマみたいで、男に間違えられていた?とか。

今回は、重太みゆきの若い頃はどうだったか、経歴を追って、印象行動学者になるきっかけを見ていきたいと思います。

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重太みゆきの生い立ち

重太みゆきは、1968年2月16日、東京都の荒川区で馬trます。

父親は小さな鉄工所を経営していました。

けれど「お嬢様」として品よく育てられたわけではありません。

両親の教えは、「お金や学歴がなくても、人の10倍頑張れば、やってできないことはない!人生は根性と努力だ!」という、スポ根的でした。

重太みゆきは、すっかりそのど根性魂が身についてしまったのです。

重太みゆきの大学時代

重太みゆきは獨協大学経済学部に通いますが、完全アウトドア派女子

週末はいつも海か山でエンジョイしてました。スキーの腕前は相当なものでしたから、冬はインストラクターをしてました。

当然、日に焼け、筋肉質のマッチョガール。太ももは女子プロレスラー並みで、肌は真っ黒でクマのようで、スキーで滑っているときは、男だと勘違いされていました。

イヤ~、真っ黒ですね。ゴキブリみたいに黒光りしてます。

でも、可愛いです。南洋の女性っぽいですね。

この大学時代は、身長157センチ、体重は65キロという、どっしりポッチャリさんでした。

父親にさえも、「みゆきは性格は優しくて女らしいが、見た目は女として中の下の下だな」と言われていたほどです。

そして、たまにサークルの先輩たちに連れられて当時流行っていた六本木のディスコ「マハラジャ」などに行くと、「なにこのデブ、場違いねぇ」と化粧室でいじめにあうこともしばしば。

しかし、小さい頃から「見た目は中の下だから、せいぜい中身を磨いて性格美人になりなさい」と親に言われて育ったので、「ま、仕方ないか」と外見にはあまり拘らなかったそうです。

CAになる決意が重田みゆきの外見を変えた!

重太みゆきは、大学3年生の春休み、「スチュワーデスになる!」と決意し、根性ダイエットをします。

今まで「中身重視」で頑張ってきたけれど、いいことはあまりなかったので、見た目を変えることにしたのです。

当時の「スチュワーデス合格対策本」には、とにかく「美しくて笑顔がキレイな人」だと、繰り返し強調されていました。

そこで、生の人参のみを食べ続け、顔には中国製の美白クリームを練りたくって、美しい外見を目指しました。

子供の頃から、根性だけはあるので、ダイエット美白に成功!

見事、JAL国際線客室乗務員の試験に合格します。

再度のCA就職で、印象を変えた

重太みゆきは、JALに入社できたのですが、病気のため退職。

その後、結婚して母となり専業主婦をします。

しかし、CAの夢は諦めきれず、JALウェイズの中途採用に応募しますが、不採用。

このときの重太みゆきの格好はは、ジャージにビーチサンダルで「おーっす!」てなかんじで、娘の幼稚園の送り迎えをしていました。

ここで、服装や雰囲気が大事なことに気が付きます。

CAになりたいのなら、普段からそれらしい服装をして、優雅な雰囲気を作り出すことの大切さを勉強し始めます。

必死で自転車をこいだり、ジャージを着るのをやめ、話し方も、相手がラフであっても、「あら?そうなんですか?ありがとうございます」なんて風に変えていったのです。

このときから、印象行動学に興味を持ち始め、学ぶようになるんですね。

この後、JALウェイズに再就職し、グッドパフォーマンス賞を受賞したり、マネジメントで、VIPラウンジの売上を半年間で100倍に上げたりするようになります。

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まとめ

「重太みゆき 画像」の画像検索結果重太みゆきの若い頃は、それなりの顔は可愛かったけど、男らしかったのですね。

自分の夢を叶えるための努力が、のちに印象行動学者へと導かれていきました。

やはり、夢を叶えるため、諦めず、努力し続けることは、とても大事なことですね。

今や、重太みゆきは、日本初のインプレッショントレーナーとして、国内外で活躍しています。

これからも多くのメディアで私達を指導してくれることを、期待してます。

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