俳優、声優、気象予報士、防災士の木原実氏。天気予報でテレビでお馴染みですね。
2017年10月に脊髄損傷の大ケガを負い、手術を受けてリハビリを行っていましたが、2018年3月に日本テレビ「news every」に復帰!
良かったですね〜。今もリハビリは続けて頑張っているとか。
木原実氏はこの事故もレアでしたが、元々の経歴もすごい人でした。サミットに参加していたんです!そして、防災士ってどんなお仕事なんでしょう?
今回は、木原実氏の出身高校、大学、経歴、そして気になる年収を調べてみました。
木原実の学歴 出身高校、大学は?
木原実の出身高校
神奈川県立厚木高等学校です。
木原実氏は、東京都大田区池上生まれ、2歳の時に神奈川県藤沢市に転居しました。
この県立厚木高校は、進学校でありながら100年以上の歴史をもつ、名門、伝統校です。偏差値は69。
木原氏はこの高校時代、演劇に興味をもちはじめ、演劇部に所属します。
同校出身の気象予報士は、田辺令吉がいます。そして、現在の「news every」でメインキャスターを務めている藤井貴彦は同校の後輩にあたります。
出身大学
1986年、日本大学藝術学部演劇学科を卒業。
木原実氏は小さい頃から落語が好きだったということで、そこから演劇に目覚め、大学で専門的に学んだようです。
この頃は、俳優としてやっていきたかったのですね。
木原実の家歴
大学卒業後、声優の大御所、神谷明の事務所に入り声優、レポーターとして芸能活動を始めます。
「北斗の拳」のラオウの配下役なんかもやっていました。
翌1987年、加納幸和、篠井英介らと花組芝居を旗揚げ、ザ・隅田川に参加します。歌舞伎とお笑いを混ぜた、ネオ歌舞伎ですね。
1995年に気象予報士試験に合格。
芝居の方からの方向転換でしょうか?元々、人前で話すことが好きな木原氏。気象予報士なら、ニュース番組にも、出演できる可能性がぐっと上がります。
1997年にはパリの気象サミットに参加し、本格的な気象予報士として活動を始めます。
気象サミットとは、毎年、世界の都市に集まって、世界のリーダーから気候に関するアクションと意欲を引き出すことを目的にしています。
気温上昇、エネルギー、汚染の抑制などをグローバル視点で捉え、各国での実施を促しているのです。
世界的な会議に参加できるなんて、木原氏の気象レベルはかなり高いんですね。
そして、翌1998年に、NNNニュースプラス1「 お天気コーナー」に出演します。また、独立し、木原実事務所を設立。
ニュース番組を獲得したら、すぐに独立って、行動が早くて、先を読んでるビジネスマンですね。キャスターってどこかの事務所に所属しているより、独立したほうが、何倍も収入がいいんです。
2016年には、オリコンの「第12回好きなお天気キャスター&気象予報士ランキング」で第1位を獲得。
現在は「news every」でお馴染みですね。
木原実は防災士になった理由は?
防災士とは「自助」「共助」「協働」を原則として、社会の様々な場で防災力を高める活動が期待され、 そのための十分な意識と一定の知識・技能を修得したことを日本防災士機構が認証した人です。
気象と関係が深いですね。
木原実氏は、2004年に防災士資格を取得し、2005年、日本防災士会常任幹事に就任しています。
また、2010年、内閣府「災害被害を軽減する国民運動サポーター」に就任。
木原氏が「防災」を強く意識するようになったのは、阪神・淡路大震災からです。自分でもなにかできることはないか、と考え始めました。
そして、視聴者からの災害や防災に関する質問も増え、木原氏は「これからは防災の知識も必要」と勉強を始め、防災士の資格を取得したのです。
「防災について考えるのが、1月と9月の年2回では、間隔が空きすぎているような気がします。一方で、毎日のように繰り返し『防災』を訴えると、『どうせ来ないよ』と備えを怠けてしまう。楽しく、面白く、印象深く、防災を考えられるように伝えるのが僕の役目です」と語っています。
木原実の年収は?
気象予報士の年収は、会社の規定でも違ってきますが、平均550万円。
テレビなどのメディアで注目されてくると、年収1000万ぐらいにはなるそうです。
木原実氏は、会社に属していず、独立していますし、俳優、声優の仕事もしていますから、年収2000万円は、くだらないと思います。
まとめ
木原実氏は、始めは俳優の道を進み方かった人だったのですね。
現在は、人気お天気キャスターとして、十分な情報と知識を私達に与えてくれ、社会に大きく貢献しています。
木原実氏は、人前で話すことが昔から好きだったので、俳優や声優の仕事をしながらも、キャスターを本業としていくのが、転職なのかもしれません。
これからも、益々の活躍を期待しています。