アマゾン奥地のジャングルで1人で自給自足する謎のワケあり男性として、中山茂氏が話題になっています。
実はこの中山氏、知る人ぞ知る、地元ではとても感謝されている有名人だったのです。
今回は、アマゾン奥地のジャングルに暮らす、中山茂のプロフィール、経歴、ジャングルに住んでいる理由を紹介しましょう。
中山茂の住んでいる場所
中山茂氏の住んでいるところは、ブラジル、アマゾナス州ノーボ・アイロン市の自然環境保全地域に指定されているアイロン・ベーリョです。
ここはアイロン市からボートでしか行けないアマゾン熱帯ジャングルです。
この集落は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて天然ゴムブームが最盛期だった頃、アマゾン川流域の重要な貿易ポイントとして繁栄していました。
現在は、中山氏が、ただ一人の住民であり、自分で作った山小屋に住んでいます。生活は全て自給自足で、電気は発電機を使っているそうですが、一日2時間程度の使用だそうです。
自然と一体化したタフライフですね。サバイバル生活に近いです。
中山茂の生い立ち
中山茂氏は、1949年福岡県の農家に生まれました。
1964年、中山氏が16歳のとき、両親、兄弟3人でブラジルへ移住。ベレンという町で生活を始めます。中山氏の家族も、1900年から始まった日本人の集団移民グループだったのですね。
しかし、中山氏が移住した特は、「日本人がブラジルで夢を叶える」というブームも下火になっており、1970年、20歳の時に、サンパウロ市の日系商社に勤めます。
しかし、「都会は自分に合っていないし、都会も自分を必要としていない」と感じ、25歳で会社を辞め、自然豊かな土地を探します。
中山氏が30歳の頃、偶然、訪れたのがアイロンベーリョです。この地で中山さんは、地主の娘であるマリレーニさんと出会い結婚しました。中山氏は以前結婚したことが有り、2度めの結婚です。
中山茂は何故ジャングルに住んでいるのか?
中山氏はマリレー二さんと結婚して幸せに暮らしていましたが、たった一年で、マリレー二さんは病死してしまいます。
深くマリレーニさんを愛していた中山氏は、アイロンベーリョを離れその後、70年代にマナウス市に引っ越してネグロ川のほとりに住居を構えました。しかし、その地域がジャウー公園に指定され放浪生活を余儀なくされました。
そして20数年たって、再びアイロンべーニョを訪れると、荒廃し人はだれも住んでいませんでした。中山氏は、愛する人と過ごした土地が荒んでしまったことを悲しみます。
そんなときアイロン・ベーリョ地区の名士として知られるグローリア・ベゼラ女史から歴史的遺跡の保護を頼まれ、同地区に居住することになったのです。中山氏が53歳のときです。
こうして、またこの土地に戻ってきたということは、中山氏は数あるジャングルの中で、アイロンベーニョに住むことが、運命づけられていたようですね。
中山茂の仕事の内容は?
中山さんは遺跡の清掃作業をしています。
遺跡の清掃には墓石もあります。アイロンベーンニョには、多くの墓石があり、年を経て判読不能になっています。苔の中に包まれてしまうと、墓石は崩壊してしまうので、掃除を丹念にして、損傷を防いでいます。
中山氏は「何世紀にもわたって、人々はアイロンベーニョに住んでいました。彼らは真の開拓者であり、私はこの場所を維持することによって、彼らの生き方を尊重しているのです」と感じています。
そして、オランダのボトルやポルトガルの瓦、天然ゴム全盛期の名残の品など歴史的価値の高い貴重品を収集して小さな博物館も建てています。
遺跡保護を中山氏に依頼したグローリアさんは、6年前に死去されましたが、中山さんは彼女の写真を壁に何十枚も飾リ、その意志を引き継いでいます。
そして「ここにはたくさんの歴史が残っている」と遺跡保護の重要さを語っていました。
2010年に保護区に指定されて以来、アイロンベーリョでは中山さんだけが居住を許可されています。
中山茂の年収は?
中山茂氏は遺跡保護でどのくらいの収入があるのでしょうか?
中山氏は地域保護のための公的機関の援助を受けたことはありません。
年金の月約3万円弱で暮らしています。
あとは、自然保護で来る研究者や、外国人観光客の案内をして、魚を採ったり菜園を耕して生活しています。
都会人では考えられない生活力の強さを感じます。素晴らしいですね。
中山茂のまとめ
中山茂氏が自給自足でアマゾンのジャングルに住む理由は、全て「愛」のためでしたね。
自然への愛、妻マリレー二さんへの愛、支援者グローリア女史への愛、遺跡保護愛、そしてアイロンベーニョへの愛。
すべての愛が、中山氏を、たった1人でジャングルに住む、という人生の選択になっているわけです。
非常にレアな人生ではありますが、自分の愛を貫く生き方は、素晴らしいですね。
日本人として誇りに思う 長生きして下さい!